放送した 1961 - 1965 は、まだ駆け出し時代で、真宗の理解も浅く、今から思えばお恥ずかしい限りです。その当時、一世は随分少なくなっていましたが、まだお元気な一世の方々がおられたので、日英両語の放送でしたが、日本語の話の対象はこの一世諸氏でした。英語は二世や三世の日系人とアメリカ人向けでしたが、出版に際して 30 話ほど日本語訳を入れました。
第七十六話 亡 き 人 を 想 う
「ほろほろと鳴く山鳥の声きけば、父かとぞ思う母かとぞ思う」
奈良時代の僧侶で農業開発や貧民救済など数々の社会事業につくした行基(ぎょうき)の作です。皆さんの中には、昨夜のあの楽しそうな盆踊りをながめながらも、盆踊りの由来を考得て、心は亡き父母のところには知っていた人も多い事でしょう。
二千五百年前のインドの目蓮尊者にとっても、千二百年前の僧行基にとっても、また今住んでいる私たちにとっても、父母はかけがえのない人、懐かしい人です。いくら、時と所は変わっても、私たちのまぶたに浮かぶのは、やさしい父母の面影です。この世に生まれて、親となり子となることは、まことに深い因縁がると言わねばなりません。今年もお盆のシーズンに当たり、今は亡き父母に対して心からの合掌を捧げ、お念仏を申したいと思います。
釈尊の説かれた阿弥陀経〈アミダ経〉の中に、「倶会一処」(くえいっしょ)という一句があります。倶(とも)に一処(ひとところ)で会うという意味です。御文章にもある如く、人間に生まれて万歳の生命を授かることは不可能です。なごり惜しく思っても、いつかは彼(か)の土(ど)、仏さまの浄土に行く身です。親に別れたくないが、子に別れたくないが、限られた命ある人間は、いつかはお互いにさようならしなければならない運命をもっています。
私がまだ日本にいた1955,56年頃、作家の菊田一夫が作った「君の名は」という小説がベストセラーとなり、ラジオで毎週放送され、また映画にもなって日本中が「君の名は」ブームになったことがあります。これは真知子(まちこ)という女性と春樹(はるき)という男性との悲しい恋物語を扱ったもので、日本の若い人たちの涙をさそったものですが、その中に次の名文句があります。「忘却(ぼうきゃく)とは忘(わす)れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」愛し合う二人が一緒になれず、離ればなれになりながらも、なお心から愛し合っている時の状況を歌ったものです。忘れられないほど強く愛しているが、あきらめて忘れてしまおうと誓う恋人の切なさ、悲しさが身にしみるようです。
一世の皆さんも、大事なお父さん、お母さんに先立たれて、さぞかし同じような心持ではないかと想像します。忘れられない父母もすでにこの世から去られて、忘れなければならないという愛別離苦の苦しみを味わっておられることと思います。でも、幸いな事に倶会一処の教えにより、いつの日か、なつかしい父母にも再びめぐり会うことができるという信仰を恵まれています。今年のお盆の季節もまさに終わらんとする今日、この仏さまの大きな恵みに対し、心から感謝致しましょう。
第七十七話 何 事 も 感 謝
人の性格を表すのに、 sincere 誠意〈せいい〉、誠実(せいじつ)という言葉があります。真心こもった人のことです。何事にも真心こめてする人は、側で見る者にさえ気持ちよい感じを与えてくれます。小学校の修身の時間に習った昔の偉人には、必ずと言っていいほど、この誠実さが備わっていたように思います。
今の世の中では、経済力があったり、世渡り上手とか、社交上手の人が幅をきかし、人としての人格の備わった人が陰に引っ込む傾向があるのは悲しい事です。真心とか誠実さは、人間の宝であり、時や所が変わっても変わらざる人間の美徳でなければならないと思います。誠実の反対は、虚偽(きょぎ)であり、嘘(うそ)、ごまかしです。嘘やごまかしでできたものは、しばらくの間は本性は出なくても、やがては化けの皮が表れてきます。男を見た時に、若い女は本能的に自分を愛してくれる人かどうかを見分ける力があると云われていますが、これと同じように私たちは誰でも、相手が果たして誠実ある人かどうかは、だいたいカンで分かってきます。言葉や態度がどんなに立派でも、人の誠意はそれによって判断することはできません。何故ならば、人の誠意や誠実さは、言葉や態度ではなくて真心の表れだからです。
誠意ある人は、私たちが本当に信頼できて杖や柱となり、力になってもらえる人の事です。私たちは皆、誠意ある人を待ち望んでいます。そんな人が、私たちにどれだけ大きな頼りになるかを考え、又その反対に、誠意のない人がどれだけ頼りにならないかを考えてみる時、その違いの大きさに驚かされます。一方は、人々の尊敬と感謝を勝ち取り、一方は軽蔑(けいべつ)を招きます。あなたはどちらの人になりたいと思われますか。
この大切な誠意は、難しいように見いえて、実は私たちの心の持ち方一つにかかっています。要は決心一つです。何事も誠意をもって、何事も真心こめて行うことこそ、私たちが先ず心すべき事だと思います。けんかはけんかを買い、恨みは恨みを生むように、真心は人の真心を打ちます。この真心と真心のふれ合い、誠意と誠意の通いこそ、家庭や社会を明るくするものだと思います。キツネとタヌキのだまし合いの如く、相手のすきをねらったり弱点をついたりするのは、仏教徒のするべきことではありません。あくまで誠意を貫く人湖祖が、私たちの理想です。
野や山に咲く花は、何故そんなに美しいのでしょうか。いつ、何度見てもあきがきません。少しのかざりけもなく、自然そのものだからです。子供が可愛いいのは何故でしょうか。無邪気で、純真そのものだからです。私たちが花や子供を愛するのは、他でもなく、その無心、無欲のためです。その無心、無欲人間では何でしょうか。それが誠意です。竹を割ったように善悪のけじめをはっきりつけ、正しい事と正しくない事をよくわきまえ、少しの野心(やしん)も持たず、子供のような汚れを知らない誠意こそ、私たちがより以上大事にし、それを目標として育て上げていかねばならないものだと思います。
第七十八話 希 望 と 感 謝
この頃は、当地でも一世の方々が次々とお亡くなりになり、本当に寂しいことです。一世の方々がお年を取られた事と、寒い冬が過ぎて暖かくなる気候の変わり目で、少し気をゆるめられるためでしょうか、本当に悲しいことです。
皆さんの中には、自分の来世(らいせ)のことが心配で不安な気持をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。でも、そんなに心配しないで下さい。仏さまは、すべての人を救うと約束されました。正信偈(しょうしんげ)の中の「大悲無倦常照我、我亦在彼摂取中」を思い出してください。仏さまの慈悲の光はいつも常に私を照らしていてくださり、仏さまのお救いの中に私もまた入れていただいているという意味です。私たちは時には約束を破ることがありますが、仏さまの約束には少しのくるいもありません。仏さまの教えを信じましょう。仏様の慈悲はあなたにも、私にも、あなたの主人にも、妻にも、子供にも、孫にも、兄弟にも、友達にも、親にも、すべての人に平等に及びます。仏の救済にまちがいはありません。
病気の人があるとしましょう。その人の病気は大病で、本人も家族の人も悲しさに心を痛めているとしましょう。そのような病気の人に、一人の医師が「心配はいりません。新しい薬もできましたし、新しい治療法が見つかりました。私が必ずあなたの病気をなおしてあげます。必ずなおります。」といったら、病気の人はどれほどうれしいことでしょう。三十年前、四十年前にはなおらなかった病気も、今は医学の進歩で、実際に多くの人が助かっています。
これと同じことが仏教でも言えます。仏さまはドクターであり、仏様の慈悲はクスリと治療です。仏さまと仏さまの慈悲により、私たちは一人残らず、命終わる時には仏の浄土に生まれることはまちがいなしです。来世への安心なくして、現世は安らかに生きられません。病人が医者の言葉を信じた如く、私たちは仏さまの教えにより、死後の世界・来世への安心が生まれます。仏さまの教えを信じると、急に毎日の生活が希望と感謝に満ちてきます。仏教はすべてに人が幸せにこの世をお暮らしになるようにと教えます。さあ皆さん、元気を出して今のいのちあるこの世を幸せに、希望をもって感謝の生活をいたしましょう。
第七十九話 ゆ る し
ゆるしは収容の大切な一要素であり、今日の世界の勝れた宗教の中で、これを言わない宗教の中の有名なことばは、許しとは何かを明確に教えています。
「彼、われをののしり、彼、われを打ちたり。彼、われを打ち負かし、彼、われをうばえり。かくのごとき心を抱ける人々に、うらみは遂にやむことなし。まこと、うらみ心は、いかなるすべをもつとも、うらみをいだくその日まで人の世にはやみがたし。うらみなき愛によりてのみ、うらみは遂に消ゆるべし。」
怨みなき愛こそ、ゆるしです。私たちの住む世界は堪忍土(かんにんど)であり、辛抱(しんぼう)が必要です。無人島でただ一人で暮らしたロビンソン・クルーソーの生活は夢物語であり、今の私たちは共同生活を余儀なくされています。一人で生きていくことはできず、多くの人が助け助けられつつの生活です。みんなが違った考えや性格を持っている以上、意見の相違ができて争いが起きるのも当然でしょう。時には荒い言葉が行きちがい、怨み心をいだくこともあります。相手からひどい言葉や仕打ちを受けたにがい経験を、今も覚えている人も多いことでしょう。
しかしながら、怨みには怨みをという態度は、私たちのとるべき態度ではありません。怨みは怨み心を抱く人にはなくならず、怨みなき愛の心によってなくなるという言葉を思い出して、過去のにがい経験も水に流して相手を許すのが仏教徒です。この世は堪忍土であり、「ならぬ堪忍、するが堪忍」の諺を実際に行うことが大切です。
私たちは不完全であり、欲、ねたみ、怒り多い身です。真宗の七高僧の一人、善導大師は「自身は現に罪悪深重の凡夫、こう劫より巳来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」と自己を眺めて、この罪悪深き身は極楽往生は及びがたいと嘆きました。しかしながら、この嘆きが喜びに代わるところに、真宗の不思議があります。歎異抄第一章に親鸞聖人は、「弥陀(みだ)の誓願不思議に助けられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪の人をえらばれず、ただ信心を要とすと知るべし。そのゆえは、罪悪深重、煩悩織盛の衆生を助けんがための願にまします」と、いかに煩悩深き身も阿弥陀仏により救われる幸せをあらわしています。ゆるされて救われて行く身が私たちです。仏さまにゆるされる私たちは、人をゆるして生きていこうではありませんか。仏さまの大きな慈悲をわがものとして、怨みには愛のゆるしを与えましょう。
第八十話 順 境 と 逆 境
順境〈順境〉とは、自分の希望通りに事が運ぶことであり、逆境〈逆境〉とは、反対に思い通りに物事が行かない状態です。誰しも順調を望む人ばかりですが、自分で「自分は順境だ」と思う人の少ないのは何故でしょうか。それは。他でもなく人間の欲のためです。
立派な家に住み、立派な息子や娘を持ち、健康な体をしながらも、欲望のために自分は不幸だといっている人は案外多いようです。人間の欲には限りがなく、次から次へと延びていきます。ヒマラヤ山を黄金の宝にしても、人間の欲望を満足させることができないとお経の中にあるのは、このことでしょう。他の人からは幸せな順境だと見えても、欲のとりこになっている人には逆境ばかりで順境なしです。不足を言う代わりに感謝の心を開き、自慢の代わりに自重することが大切です。自分から本当に幸せだと思う時は、早く過ぎ去っていきます。順境で自分を振り返るチャンスを忘れ勝ちな時、よく自己反省をして恵まれた現在を感謝することが大切です。そして、このときこそ仏教の教えを実践する最良の機会である事を知りましょう。自分の喜びは、他の人とも分かち合わなければなりません。自分ひとりが良ければよいのではなく、その幸せは自分の家族に、やがては友達にとひろげて行かねばなりません。「仏法ひろまれかし、世の中安穏なれ」は仏教徒の願いです。池に投げた小石がえがく波紋が、だんだん広がっていくように、良き人の真心が人から人へと伝わり、世の中が幸せになっていきます。
すべてままならぬこの世の中では、逆境の境遇にある人が多いものです。どんなに恵まれた人でも、生老病死、四苦八苦の苦しみから逃れることはできません。しかも、これらは風の如く、思わぬときに不意にやってきて、私たちを困らせます。これらの病気、災難、経済上や家庭上の問題、或いは友人関係の問題などは、人間の力ではとめる事が難しくて大きな悩みです。逆境に陥ると、幸せな時代の事が思い出されて、特に現在がみじめに感じられるものです。
でも、逆境も案外見捨てたものではありません。ものは見方一つ、心の持ち方一つで逆境を通じて驚くほどの利益を受ける事もできます。逆境を通してのみ知る幸せがあります。「貧乏になって初めて本当の友達ができる」と言われています。見栄(みえ)ではなく、真心こめたお付き合いができるからです。女の本当の美しさは、化粧(けしょう)しない素顔にあるように、人間は素裸のかくしだてのない心を持つ事ができる時が一番美しいのです。逆境はそんな機会を恵んでくれます。
諸行無常ですべてのものが刻々と変わりゆくこの世の中では、逆境に身を置くことはしばしばです。でも、そんな時、不平を言うのではなくて、その代わりに我慢をし、泣き崩れる代わりに希望を持って、その解決に力をつくすことを、いつまでも忘れないでいたいと思います。逆境は、人間にとってにがい薬だと解釈したいと思います。
世間でとても良い人だなあと思う人に出会う時、「ああ、この人に信仰があったらなあ」と思うことがあります。進行は心の筋金です。進行の筋金が一本通っておれば、悲しい時にもうれしい時にも、絶えずこれによりすがり、強く正しく生きられるのではないでしょうか。逆境の時には、信仰により悲しみを生き抜く力を与えられます。信仰があれば鬼に金棒です。どんな事が起こっても、此れを乗り越える力を持つことができるからです。
第八十一話 再 び な す な か れ
スポーツが人一倍好きな私は、毎朝新聞のスポーツ欄には人一倍気をつけて読んでいますが、ここ二三日、スポーツ界の大きな話題は、プロフットボール選手のかけ事の事件についてです。リーグの規則を破ったこれらの選手は罰金を取られ、その中での二人の有名な選手は、無期限に出場禁止の命令を受けました。その一人は、グリーンべイ・パッカーズ・チームのポール・ホーニングです。
水曜日の夜のテレビニュースで、彼は「許してください。悪い事をしました。」と云っていました。フットボール選手としてリーグの規則を破って「かけ」をする事は悪い事にちがいありませんが、自分のあやまちを受け入れる事は悪い事ではありません。ホーニングは世界選手権スーパーボール・チャンピオンになった強豪グリーンべイ・パッカーズの売れっ子選手で、全米プロフットボール選手中でも有数の人気男です。この国でのフットボールを考える時、彼を慕う人たちへの影響も大きかろうと気に掛かっていました。
ところが、金曜日の朝刊紙に一高校教師の投書が載り、「ホーニングのした事は、名誉あることではなく、懲罰を受けるでしょう。しかし、現在の彼の態度はさすがです。男らしく罪を認めました。このことは、彼を理想の人物と見ている子供達に、是非とも知らせてやらねばならぬ事です。」と述べています。マチガイなしの人生はほとんどないといっても差し支えがありません。それどころか、まちがいの連続がいつわらざる現実です。自身の言動を注視する時、誰一人としてこれを否定することはできません。多くの点で不完全な私たちは、過去において数多くの過ちを犯してきています。時には無意識に、時には意識してマチガイをしています。大きな誘惑の前には、良心が一たまりもなく、くずれさることも度々です。
日本の古い諺、「たたけば埃(ほこり)が出る」に同意せざるを得ません。外には見えなくても、たたけば埃が出るように誰も中身は過ちの多い人間です。でも、この過ちを隠しておこうとして、これを改めようとしないのは悲しいことです。もう一度、法句経の釈尊のことばに目を向けてみましょう。
「悪しきことをなす者は、ここに憂い、かしこに憂い、ふたつながら共にうれう。
おのれのけがれたるふるまいを見て、彼は憂い、彼はおそる。
「善きことをなす者は、ここによろこび、かしこによろこび、二つながらによろこぶ。
おのれのきよらかなるふるまいを見て、彼はよろこび その心はおどる。
「たとえ 悪をなしたりとも、再びこれをなすことなかれ。
悪の中に楽しみをもつなかれ。悪つもりなば 耐(た)がたき苦しみとならん。
「もし、人 よきことをなさば、これを また また なすべし。
よきことをなすに たのしみをもつべし。善根を積むは 幸いなれば。
所詮、私たちは限りある力をもつ人間であり、多くの過ちを犯します。しかし、私たちはしばしば、この欠点を持ちながら「私は持っていません。」というが如くふるまいます。欠点多いのが私たちです。自分自身をよく眺め、同じあやまちをふたたびくり返さないよう努めようではありませんか。「悪は善によって克服する」という釈尊の言葉を思い出しましょう。
第八十二話 民 主 主 義 と 正 義
八月二十八日、二十一万人の人たちが、首都ワシントンで「自由のための行進に参加しました。この時、代表的な黒人指導者、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、リンカーン記念館入り口の階段から、「ある意味で、今私たちは国の首都へ小切手を現金に換えに来ているのだ。我が共和国の建設者たちが憲法と独立宣言のすばらしい文章を書いた時、すべてのアメリカ市民がその恩恵にあずかることを誓約した。私には四人の子供がいるが、その子供たちが、いつの日か皮膚の色によってではなく、性格によって判断されることを夢見ている。」と演説しました。
この演説を読んだ後、私はすぐアメリカの歴史の本を開き、独立宣言と憲法に目を通しました。独立宣言の初めには、有名な「すべての人は平等に造られている」の一句があり、憲法第十四条第一項には「すべてのアメリカ市民は、その生命・自由・財産及び権利が保護される」と述べられています。しかし、現今のアメリカでは、これらの文章は、小切手であると黒人たちはいうのです。小切手はお金に換えてもらって初めて値打ちがあるのであり、お金にかわらない小切手は、ただの紙切れでしかありません。黒人たちは、小切手は与えられたが、それをお金に換えることを許されていないというのです。
すべての人々と同じように、すべての国は理想を持っています。独立宣言や憲法は、アメリカの理想の表現です。理想のあるところ、必ず現実の世界とのくいちがいが出てきます。アメリカの理想は、我々の夢であり、それを追求していくべきものであると知りつつも、多くの現実の問題が理想の達成をおくらせています。「ローマは一日にしてならず」の諺の通り、この人種問題も一朝一夕に解決できることではなさそうです。しかし、アメリカの理想を私たちが忘れないでいるなら、時がやがてこれらを解決してくれることでしょう。
現在のこの人種問題に、仏教徒はどのような態度をとればよいのでしょうか。一番良いのは、やはり聖典を開いてみることでしょう。ある時、婆羅門(ばらもん)が釈尊に、「いやしき人とは、如何なる人か」と尋ねた時、釈尊は「生まれによりて、いやしきにあらず、生まれによりて貴(とうと)きにあらず。行いによりて卑しき人となり、行いによりて尊きになる」とはっきりと、この問題に対する解答を与えています。行いには身・口・意の三種があり、それが人の上下を決めるものであり、皮膚の色ではないと教えたのです。だから仏教の理想はそのままアメリカの理想とも言えるわけです。
どうかして黒人の人達に、小切手は空チェック〈不渡り小切手〉ではなくて、お金に換えようと思えば、いつでもかえることができるといってあげたいし、又、人は行いにより値打ちを決めるのだと言ってあげたいと思います。それが真の民主主義であり、それを実行したいものです。民主主義には責任が伴いますが、この責任は各人が自分の行いに気をつけて正義の道を進む人になることです。
第八十三話 仏 教 と は
仏教とは何でしょうか。急に誰かに尋ねられたら、返答にとまどいそうです。貴方はどう返事されますか。明治時代に西有穆山(にしありぼくさん)という禅宗の僧侶がいました。この人が、お寺の廊下を通っていると、廊下の拭き掃除をしていた弟子が、「仏教とは何でしょうか」とたずねました。これに対して西有穆山禅師は「仏教とは廊下をきれいにふくことである」と、すぐさま答えたという有名な話があります。
むつかしく言おうと思えば、どれだけでも難しく言うことができるでしょう。でも学問的な難しい事が本当の仏教ではありません。それは学問的な研究には良いでしょうが、私たちにとっては縁のうすいことです。私たちの生活を明るく、意義あるものにしてくれるものが仏教の教えです。廊下を拭く人に対して、廊下をきれいに拭くことが仏教であるという答えは、まことに簡単でありながらま、たくみに仏教が何であるかをはっきりと教えています。
子供の世話をする時は真心こめて世話をすることが仏教であり、勉強する時には一生懸命勉強することが仏教であり、田や畑、会社やオフィスで働く時は、汗水流して仕事に打ち込むことが仏教であり、遊ぶ時にはすべてを忘れて遊びに熱中することが仏教であり、病人の世話をする時は看護に精を出すことが仏教であり、自動車をドライブする時は規則を守り気をつけて運転することが仏教であり、食事のテーブルに着く時は、作って下さった人のことを思ってお茶碗の持ち方や箸の動かし方に、お気をつけておいしくいただくことが仏教であり、人と話をする時は相手のいうことをよく聞いて愉快に話すようにつとめることが仏教であり、親兄弟と離れて住む人は時間をみつけて手紙の一つも書くようにする事が仏教であり、友達と一緒のときは今まで以上に友情が深まるように言葉や動作に気をつけることが仏教であり、悲しい時にはじっと我慢して幸せを待つことが仏教であり、電話をかけるときは言葉や声の調子をかんがえてできるだけ良い印象を与えるように努力することが仏教であり、旅をする時は時間の無駄をなくして、目的を充分果たすことが仏教であり、暇(ひま)がある時は家に中の整頓や庭先の手入れをして自分の住む周りをきれいにすることが仏教です。
このように、生活と離れて仏教はありません。仏教の教えはサンデーにお寺におまいりした時だけ考えるものではなく、家に帰っても、仕事をする時も、またマンデーもチューズデーも常に離れられないものです。だから、仏教の信仰を持つ者は、朝から晩まで、一月から十二月まで、何をする時にも、どんな時にも、教えをよりどころとして生活するようつとめねばなりません。生活することがそのまま仏教です。仏教は抹香(まっこう)くさい、線香くさい、時代おくれとかいう批判は当たりません。仏教はいつの時代にも常に新しい生活指針です。
「多くの善をなし、悪をなさず。これこそ仏教である」という釈尊の言葉と、この禅宗の僧侶の言葉を思い合わす時、仏教は山のかなたにあったり、難しくて私たちの手のとどかない所にあるのではなくて、実は私たちのほんの身近なところにあり、仏教と離れては生きられない私たちであることをつくづく感じさせられます。生まれがたい人の世に生まれた私たちは、大切な時間を有意義に使い、心清らかに言葉と動作正しく、そして何事にも一生懸命に精魂を打ち込んでいきなさいという仏教の教えをより一層深く信仰して、より良き仏教徒、より良き市民、より幸せな人になりたいものです。
第八十四話 ベ ト ナ ム 問 題
ウエサカの日(花祭)は、仏教徒には聖なる日です。その日は釈尊の誕生された日だからです。南ベトナム政府はこの花祭を一週間延期するよう命じました。一週間後に行われた花祭のお祝いの行われている最中、政府の軍隊はこれに踏み入り、数人の人が機関銃で撃たれて殺されました。これが現在のベトナム問題の起こりであり、これ以来毎日のように新聞、ラジオ、テレビ、雑誌をにぎわしています。五人の僧と尼が焼身自殺という最も悲愴な方法で、宗教的迫害を世界に訴えましたが、今幾百万という人たちがこの迫害に苦しんでいます。
米国仏教団は、今日、九月十五日を南ベトナム殉教者追悼の日と定め、本土の五十五の仏教会と十万の信者、ハワイでは三十五の仏教会と十五万の信徒がそれに参加しています。愛央仏教会でも、今朝から三度、追悼法要を営み殉教された人々を追悼し、南ベトナムの一日も早き平和と信教の自由を祈願しました。
自殺は仏教の教えからは認められませんが、暴力や武力を用いず、彼等の立場を世界の良心に訴えるには、自殺こそ唯一つに越された道であったということを考える時、自らの命を絶ったこの人たちに一種の尊敬の念さえ起こります。東洋に於いては、昔から自殺は決心と勇気の表れだといわれていますが、このベトナムの人たちも、自分の信ずる仏教の自由を求める心、他の人を思う義侠心からやった事なのでしょう。戦国時代の切腹、太平洋戦争の神風特攻隊など、我々日本人には目新しいものではありません。この死をもって目的を達成しようという気持ちは東洋人だけの心理ではなく、このアメリカに於いても、合衆国独立に尽力した愛国の士、パトリック・ヘンリーは、「我に自由を与えよ。さもなくば死をあたえよ」と叫んでいます。
殉教者たちは信仰の自由のために亡くなったのであり、この故にこそこれらの人たちのために追悼法要を営んだのです。現在のベトナムの事態を考える時、私たちは何のおそれもなく自分の好きな教会へお参りできる自由と民主主義の国、アメリカに住んでいることが殊更うれしくなります。この幸せに比べる時、ベトナムに於いても事態が一日も早く適切な解決を見ることを念じます。他の宗教を抑圧する事が正しいカトリックの教えでないということを私は知っています。どうかカトリックであるという人が、教祖イエス・キリストの教えを実際に行ってほしいと思います。
自らの身を焼いて死んで行った人たちの火の如き熱き仏教愛護の精神、信仰の固さには最大の敬意を表したいと思います。どうか、その人たちの願いが実現し、ベトナム国民の上に平和が再び訪れることを切望します。
第八十五話 愛 国 心
七月四日の独立祭・ Fourth of July がやってきました。自由の天地を求めて渡ってきた人々が、独立戦争の後、遂に念願の独立を勝ち得て、ここに自分たちの国・アメリカの基を築いた日です。アメリカ合衆国の歴史は今から百八十六年前の一七七六年七月四日をもって始まります。それ以来、この新しい国アメリカは愛国の念に燃える人々により発展して今日に至っています。私たち日本人は日本で生まれたとはいえ、やはり今済んでいる国アメリカの独立を心からお祝いしたいと思います。そしてアメリカ人が、いかに自分の国を愛しているかを知りましょう。
最近よく、「愛国心は日本にはなくて、アメリカに残っている」という言葉を耳にします。遠い異国アメリカに住む日本人の方が、日本の国を愛する心が強いというと、ちょっと不思議なように聞こえますが、これは本当だと思います。日本から来るニュースは大抵デモとかストライキとか汚職とか乱闘とか暗い情けないニュースが多く、一体日本には愛国心がないのか、愛国心はどこへ行ってしまったのかと疑いたくなります。学校では一体何を教えているのかと腹立たしくさえ感じます。国旗の「日の丸」の旗や国歌「君が代」さえも遠慮する傾向があるとききますが、自分の国の国歌や国旗を尊敬しない国民が世界中で他にあるでしょうか。自分の国に誇りを持つことを忘れて国の発展があり得るのでしょうか。
アメリカに来ている日本人は旧式なのでしょうか。それとも日本恋しさのためでしょうか。どうにもならないと知りながらも、日本のことが気に掛かります。明治、大正、昭和の初めに受けた教育をそのまま持ち続け、日本の将来を案じる人ばかりです。アメリカに帰化して市民権をとった人も、やはり生まれた国の日本は母国であり、祖国です。名目上はアメリカ人になっても、日本人だという気持ちは抜け切れません。やはり、日本人の血は争えないものです。
日本へ観光に行った白人は、「箱庭のようなきれいな国」と日本をほめます。四方を海にかこまれ、青い山、美しい川の国が日本です。また、そこに住む人は「勤勉で正直だ」と白人は言います。日本は誠にすばらしい国です。もっともっと、日本の人たちは自分の国を誇りにすべきではないでしょうか。自分で自分の国を卑下(ひげ)するところに発展は望めません。
祖国日本とこのアメリカがいつまでも仲よくしてほしと思うのは、在米邦人の心からの願いです。近頃日本とアメリカの都市のシスターシティー運動、姉妹都市縁組運動が進み、文化の交換が盛んに行われていますが、私達も何か日米親善と友好の力添えはできないものでしょうか。「果報は寝て待て」という諺がありますが、しかしじっとしていて果報はなかんか容易に得られません。わずかづつでも日本とアメリカのためになる事をしたいものです。
私はその一つとして、日本の学生がこの国に留学できるようにスポンサーになってあげる運動が始まってほしいと思っています。故郷の村の学生を留学さしてあげることができたら、どれほどいいかと思います。有志や県人会や教会がスポンサーになったら案外たやすく事が運ぶのではないでしょうか。この他にも色々日本のためになることはあるでしょう。海山遠く離れて、思うことの万分の一もできませんが、日本を想う気持ちには変わりがありません。どうか日本が将来立派に発展していってほしい気持で一杯です。独立祭にアメリカ精神を思う時、同時に祖国日本発展への願いを新たにします。
第八十六話 上 を 向 い て 歩 こ う
上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す春の日 一人ぼっちの夜
上を向いて歩こう にじんだ星を数えて 思い出す夏の日 一人ぼっちの夜
幸せは雲の上に 幸せは空の上に 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
泣きながら歩く 一人ぼっちの夜
( 口 笛 )
思い出す秋の日 一人ぼっちの夜 悲しみは星の影に 悲しみは月の影に
上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜
一人ぼっちの夜
この歌を聞かれたことがありますか。これがその「スキヤキ」です。日本では「上を向いて歩こう」という名ですが、アメリカでは白人の良く知っている日本料理の名をとって「スキヤキ」という題で売られています。日本人が作り、日本人歌手、坂本九が歌っているこの歌が、今アメリカのいたるところで歌われているのです。不思議な事もあるものです。これが今全米で二番目に人気のある歌なのです。一世の方々にとっては、キツネに鼻をつままれたような話ですが、うそではありません。白人社会の中にあって数多くの迫害と排斥に遇い、白人の前では日本語をしゃべるのをはばかった時代とくらべると、誠に隔世(かくせ)の感がいたします。白人のところで堂々と日本語の歌が通用する時代にと変わってきたのです。日本語を白人の前で大きな顔をしてしゃべれるどころか、目の青い白人までが、訳も分からないのに日本の歌を歌っているのです。このような時代のはげしい移り変わりに全く驚かされます。昨日の敵は今日の友といいますが、アメリカにおける日本人の過去を振り返るとき、全くこの言葉がぴったりします。
さて、このような変化がどうして起こったのでしょうか。勿論、戦争後の日本とアメリカの政治的な影響もあるでしょうが、私はアメリカに住む日系人の努力も見のがせないと思います。苦しい中にも、じっと我慢をして笑顔を忘れず、明日を信じて今日の日米友好に努力された皆さま一人一人のお蔭と思います。先日テレビでゴー・フォア・ブロークという二世部隊の映画を見ましたが、日本で見た時とは全く違った印象を受けました。何故なら、このアメリカに来て、イタリヤやフランスの戦場へ我が子を送った人達の顔を見て、どれほどか大きな犠牲を払われたかを身近に知る機会を得たからです。息子を兵隊に出したり、強制立ち退きでキャンプに入ったり、排斥をうけたりしながらも、常によきことは良い報いを受けると信じて正しく生きて、アメリカの人達に良き感じを与えて下さいました。
大きな顔をして街を歩くことができるのも、アメリカ人をお友達にできたのも、日本の歌をラジオで聞けるのも、みな皆さまのお蔭です。私はこの「スキヤキ」の歌を一世の皆さまが声高らかに歌ってほしいと思います。この歌は日米親善のしるしでもあり、同時に皆さまの努力のたまものです。アメリカ人が日本の歌を歌うという今まではほとんど不可能なことを、皆さんはやりとげたのです。
第八十七話 憎 愛 を 超 え て
もうあと三日で六月です。五月もまさに終わらんとする五月三十日はメモリアル・デーです。日本語では招魂祭(しょうこんさい)と訳されています。国のために命を捧げて亡くなった兵士の魂を招いて、国を挙げて感謝する日です。愛する息子や兄弟を、イタリヤに或いはフランスの野に捧げた方もあるでしょう。頼りにしていた息子が戦死して、壁に掛けた写真をながめては今もなお涙する一世もあるでしょう。
さて、このメモリアル・デーは、どうして始まったのでしょうか。今から九十四年前、アメリカが北と南に分かれて戦った南北戦争が終わってしばらくたった頃のことです。南北戦争の戦死者の墓をかざろうと、メリアン・ウイリアム夫人がジョージア州コロンバス市の新聞に投書して提案したことが始まりです。この提案によりジョージア州を中心とする南部の諸州は、一八六六年にメモリアル・デーを設定しました。そして、南部の婦人は南軍戦死者の墓だけでなく、北軍戦死者の墓にも同じように花を捧げていたという美しい話が伝わっています。やがて、北部諸州もこの例にならってメモリアル・デーを設定して今日におよんでいると言われています。
かつては闘った北軍の兵士の墓にまで、野に咲いた花をささげたという美しい南部の母の心こそ、私たちがこの日に忘れてはならないことでしょう。敵味方を考えず、一切の差別を超えて、ただ一途に戦死した兵士の冥福を祈る母親の姿を想像する時、私は仏さまのことを思わずにはいられません。すべての差別や不平等を超えたのが仏心と申してよいでしょう。観無量寿経の中に「仏心とは大慈悲これなり」という有名な文句があります。仏の慈悲は、男女・老若・身分の上下・貧富・美醜などの区別なく、男にも女にも、子供にも年寄りにも、金持ちにも貧乏にも、美しい人にも醜い人にも体の不自由な人にも、等しく及ぶ大慈悲です。メモリアル・デーを迎えるに当たり、敵味方を超えた母の心と差別を超えた仏心を汲み取って、互いにゆるし合い、はげまし合い、手を取り合って生活したいと思います。
第八十八話 相 談 相 手
土曜日の晩、テレビジョンでボクシングを見ておられる方も多いことでしょう。ボクシングでは、やはりノックアウトが何と言っても一番スリルがり、見所でしょう。そんな時には素人の目にも「ああ危ない。もうワンパンチで倒れるな」と感ずるものです。このノックアウトされる前の瞬間、最後の一撃を受ける前の瞬間を私は一大事と言いたいと思います。
この瞬間を過ぎれば、一人はなぐりとばされてリングのマットの上に横ばいになり、ひとりは両手を高く上げて勝利の喜びを味わうのです。勝ち負けの境目です。ノックアウトされて負ける人は、なぐられると分かっていても、弱りきってしまってどうして防いだらよいのか分からず、ただ相手のするがままにまかせているシーンを貴方もきっと見られたでしょう。勝ち負けの境目で、一大事であるにかかわらず、どうすることもできないでただなぐられて倒れていく人の姿はあわれです。
では、このボクシングの一大事は私たちの生活の上ではどんなことでしょうか。自分ではどうしたらよいか解決の道がつかないとき、自分ではどうすることもできない問題に直面した時、死ぬほどつらい想いをする時でしょう。こんな時に、もしも問題の処置を誤ったならば、一度に暗闇(くらやみ)の人生となり、人に合わせる顔もなくなります。
人生には、いろんなことが起こります。経済上の問題、家庭上の問題、対人関係の問題、信仰の問題等、数えれば限りがありません。時には問題があまりも大きく深刻で、死んでしまいたくなるようなことさえ起こります。自分では解決できないし、一体どうしたら良いかと迷ったことは、誰にも覚えがあることでしょう。こんな時は、本当に一大事です。その人の一生を左右する大事なことです。本人は冷静な心を失ってしまって、良い考えが浮かばぬ場合が多いようです。あなたはこんな場合、どうされますか。ボクシングはスポーツですから、「ちょっと私をなぐるのを待ってください。」とは云えず。終わりのベルが鳴るまで、または相手が倒れるまでなぐり合いますが、人生の問題はスポーツと同じように考えてしまってはなりません。倒れる前に何か手を打って、大切な人生に傷をつけないようにせねばなりません。
それには、まず何よりも先に、「自分一人ですべてのことは解決できる」という考えを改めることです。何事も自分ひとりでやってみるという精神は尊いものですが、しかし、「三人寄れば文殊の智恵」のことわざの如く、人間は一人よりは二人、二人よりは三人の考えが正しいことが多いのです。人の意見を聞いてみることです。心から信頼できる人、この人ならと思う人に悩みを打ち明けて、「どうしたらよいでしょうか」と尋ねてみることです。自分には味方になってくれる頼りになる人はいないというひがみ根性を引っ込めて、助けを求めることです。
子供ならば、まず親に尋ねたらよいでしょう。親は自分の子供ほどまわいいものはなく、何時も子供の味方であり、たとえ子供が悪くても味方になってくれる人です。結婚した人ならば、夫は妻に、妻は夫に相談し、年寄れば子供にきけばよいでしょう。兄弟は姉妹、親しい友達は常に頼りにできる人たちです。自分ではどうして良いか分からなかったようなことが、人と相談する時に案外早く、しかも良い解決策が生まれてくるものです。何時も自分ひとりで何もかもできると思ったらマチガイです。人間は弱いもの、人の助けがいる時があるものです。自分一人で悲しまず、誰かに胸の内を打ち開けて悲しみを軽くしましょう。
もしも、誰かに相談や頼みに来られたらどうされますか。相手の人は死ぬか生きるかの重大問題で来られることもあります。貴方を頼りにして居られるのです。冗談や他人事のように思わず、真剣に親身になって話にのってあげて下さい。秘密(ひみつ)は固く守って、他の人には絶対言わず、あくまでその人の味方になってください。今の世の中には、ボクシングでまさにノックアウトされようとするように、悲しみや悩みのため、今にも泣きくずれてしまいそうな人が多いのです。どうか、そんな人の良き相談者、良きお友達になって下さい。
第八十九話 宗 教 の 話
今晩は宗教に対する態度について、お話したいと思います。開教使である私は宗教のことを話すのはしばしばですが、私は宗教について一つの強い見解を持っています。それは、日常会話では宗教の事は絶対に話さないということです。ひとたび教会の外へ足を踏み出せば、宗教のことについて話さないように努めています。何故なら、宗教は議論するものではなくて信仰するものであり、その教えを実行するものだと信ずるからです。
他の宗教の人と一緒にいる時は、特に宗教論議から生ずる気まずい思いを起こさないように気をつけねばなりません。たとえ他の宗教を悪く言う気持ちはなくても、人はあまりそのような話を好みません。私は日常会話に宗教の話をやたらにしたがる人や、「私は仏教徒です。」と言わんばかりの振りをする人が嫌いです。「私は仏教徒だから、したのだ。」とか、「私はクリスチャンだからこうしたんだ。」とか。「仏教徒だから、彼は良い人なんだ。」とか云う言葉は、響きは良いが、こう云う表現には何か不純なものが混じっているようで、私は大嫌いです。そんなことを云う人は、本当に自分の信ずる宗教の教えを理解しているのかどうか疑いたくなります。
私たちには仏教会があり、そこへお参りして礼拝に出席します。そこが教えを聴聞し、宗教の話をするところです。礼拝が終わって教会から出てからは、自分の宗教や他人の宗教のことを話すのではなく、自分の宗教の教えることを実践する人になるべきです。このことは、みんな良く知りながら、多くの人は間違いを犯しています。宗教は個人的なものであり、もし処置 をあやまると人を傷つけます。宗教はみんあがその教えを行う時、宗教の価値が出てきます。しかし、あまりにも議論に力が入る時は逆効果が生じてきます。すべての宗教は、その信者に大きな恩恵を与えるものであり、お互いに他の宗教を尊敬することを忘れてはなりません。経典に示す如く、自分のなしたことと、なさなかったことに気を配るべきであり、他人のした事、しなかった事にあまり気を使いすぎてはなりません。わが身を反省し、自分は他人の事に注意を払い、肝心の自分の宗教の教えをおろそかにしていないかを考えてみるべきです。
「宗論はどちらが負けても釈迦の負け」とは、うまく云ったものです。真宗と浄土宗が議論した場合、どちらが負けても仏教の開祖、釈尊の負けになる訳です。このことわざは、そのまま仏教と他の宗教の間にも通用します。仏教とキリスト教が争うことがるとすれば、それは仏教の負けであり、同時にキリスト教の負けです。どの宗教も敵を作ったり。けんかをせよとは教えず、その反対の事を教えます。もしも仏教徒が他宗教の人に議論するようなことがあれば、それは仏教にそむくことです。仏教は闘争を好みません。どうか、ただ自分の宗教の教えることを行ってください。
第九十話 愛 国 の 人、日 蓮 (にちれん)
四月二十八日は日蓮宗の開祖、日蓮上人が清澄山の山上にて太平洋に昇る日の出に向かい、「南無妙法蓮華経」と高らかにお題目を唱題して、日蓮宗の開宗宣言をした日です。時は今から約七百年前の建長五年四月二十八日、日蓮上人三十二歳の時だと伝えられています。
太平洋の波打ち寄せる小さな漁村の漁師の子として生まれた日蓮は、清澄山に或いは比叡山に、十二歳から三十二歳まで二十年間勉学し、法華経こそが仏陀釈尊の根本精神を伝えたものであり、国が乱れているのもこの法華経の精神を忘れているからであるとの確信を得たのでした。仏法が衰える時に世間乱れ、仏法正しければ世間もまた安楽なりとの信念のもと、この法華の行者日蓮はあらゆる迫害にも打ち勝って、有名な辻説法を行ったのでした。彼の説教の場所は、街の四つ辻であり、道行く人に呼びかけるという激しいものでした。相つぐ疫病の流行、飢饉、地震、台風もすべて仏法を国民が忘れて居るからであると、激しい気迫をこめて説きかけめした。立正安国論という本を書き、正しきを立てる時、国は安らかなリと主張しました。
私はこの日蓮上人の激しさは、やはり悩む衆生を思うあまりのことと解釈しています。「日蓮は涙流さぬ日はなし」という日蓮上人の言葉が伝わっています。まことに日蓮上人は情熱の人、信念の人でありました。鎌倉の幕府に対して堂々と意見を述べ、盛んに外国の侵入を予言して、日本の国の将来を憂えたこともありました。幕府はこれを問題にしませんでしたが、やがて日蓮の予言は的中し、蒙古が北九州に攻入り日本中を夢からさましました。元寇(げんこう)という日本歴史の上での大事件です。
ジンギスカンが建てた蒙古(もうこ)は、朝鮮、シナ、チベット、ロシア、ポーランド、ドイツ、ハンガリーなどを従え、アジア、ヨーロッパにわたって史上最大の大帝国を打ち立てました。余勢をかって、蒙古の大軍が日本も征服しようと攻め込もうとする時代に日蓮は生きた人です。誰よりも日本のことを思い、「われ日本の柱とならん」と言ったこともありました。日蓮上人は情熱の人であると共に、愛国の人でもありました。日本佛史上、日蓮上人ほど迫害に遭った開祖はなく、その法難には、松葉ヶ谷の草庵焼き討ち事件、伊豆への流罪、小松原の法難、滝ノ口の法難、佐渡への流罪と限りがありません。しかし、奇跡にも難を流れて命を取りとめました。このことは、ますます彼の法華の行者としての信仰を強めていきました。弘安五年(一二八二年)十月十八日武蔵の国、いまの東京池上で亡くなるまで、まことに波乱多き人生でした。
私は親鸞聖人の浄土真宗を信じていますが、この日蓮上人の情熱と信念と愛国の念には強く心を惹かれます。もしも真宗の教えよりも先にご縁があれば、日蓮宗の信者になっていたかもしれないとさえ思います。私は真宗の教えによろこびを感じ、自分にとってこれより他の教えはないと思っています。だから、これからも日蓮宗にはならないでしょう。しかし、日蓮上人その人の人柄には、この上ない尊敬を払っています。日蓮上人七百回忌遠忌は、もう二十年すれば行われます。まことに日蓮上人は、日本の産んだ偉人の一人でした。どうか日蓮上人の精神が日本人みんなの血の中にもう一度流れ、自分の信ずることには情熱と信念を持ち、祖国日本を愛する人になってほしいと思います。
第九十一話 真 実 の 愛
ついこの間のことです。 [ オペラで「風の中のチリのように いつも変わる女の心」と言われ、又ことわざに「女心と秋の空」と言われるように、女の人の心は少しも当てになりません。 ] と言いましたら、「ノー、ノー、変わるのは男の方ですよ」と男性信徒から発言があって大笑いをしましたが、この心変わりするところに数々の悲劇が起こってまいります。
好きな人が同じように好いてくれるなら、これほどうれしい事は世の中にございませんが、片想いをしたり、又、初めは自分を好きだった人が冷たくなってしまったりした時は、本当に悲しいものです。そんな時は、相手を憎みたくさえ感ずるものです。可愛さ余って憎さ百倍とか、愛と憎しみは紙一重と云われるように、好きであればあるほど、相手が自分の思う通りにならない時、憎しみも大きくなってまいります。
こんな時、つくづく人間の浅ましさを見せ付けられるような気がしてきます。相手を愛するが故に、今まで菩薩のようなやさしい顔をしていた人が、相手が好いてくれないからと言って、急に怒った顔をするのは、本当に心から相手を愛していたのではなく、ただうわべだけで愛していた証拠です。すいてくれるから好きだ、好いてくれないから憎らしいというのは、あまりにも利己主義で、汚い心の煩悩を見せつけられるようです。これは下等な恋愛です。
「出家とその弟子」や「絶対生活」その他多くの本を書いた特異な作家、倉田百三は「愛と認識との出発」という本の中で、「私は恋を失って女を罵り、女性全体に一種の反抗的気分を抱くようなことはしたくない。かくの如きは真に深き失恋の悲哀を味わいたるものには出来ることではない。」と言っていますが、たしかに、美しい恋愛とは、たとい失恋し相手の心が変わっても、なお相手の幸せを願うものでしょう。恋愛もここまでくれば、見上げたものです。でも、このような恋愛はほとんどないといってもよいのではないでしょうか。
さて、今この放送をお聞きの一世の方々は、「どうして又、私等に恋愛の話だろうか。五十年前にでも聞いたら役に立つのに、今は歳とってしまって恋愛の話には縁がございません」と思われることでしょう。でも、この恋愛の話は、そのまま佛教につながっているのです。一つは、好いてくれたら好きだが、好いてくれなければ憎らしくなるという恋愛、もう一つは、好いてくれたら、もうこれ以上望むところはないが、相手がすいてくれなくて失恋した場合も、憎むことなくその人を愛するという恋愛の話をしましたが、皆さんはどちらがより美しい恋愛か、お分かりの事と思います。云うまでもなく二番目です。
仏さまの慈悲も、これと同じです。仏さまは良い人間なら救い、悪ければ救わないというのではありません。善くても悪くても、いや、悪ければ悪いほど、あわれんでくださるのが仏さまです。仏様の願いは、私たちが正しい善い人間になることですが、たとえ仏様のきもちにそむいても救って下さいます。丁度、男女の恋愛に於いて、たとえ相手がもう愛してくれなくても、憎しみ心なく相手の幸せを願うのと同じです。私たちが仏さまに心を惹かれるのは、ほかでもなくその純粋な慈悲のためです。いつ、如何なる時も、私たちが仏さまを裏切ったりするような時も、秋の空や風の中のチリのように、心変わりする時も、私たちの側を離れず、常に慈悲の心で私たちを見守って下さる方です。仏さまのことを知れば知るほど、仏さまが好きになってきます。仏さまはそんなお方です。
第九十二話 卒 業 式
卒業生諸君、並びにご父兄の皆さま、おめでとう。金曜日 の夜、オンタリオ高校の卒業式に出席させていただきました。卒業式はいつ行っても、身を引き締める思いがして、その厳粛な雰囲気は、言葉には云い表せません。私は、有名な詩人ロングフェローの詩を口ずさみました。「迷いと希望と夢を抱いて、若人は何と美しき事よ。何と前途の輝かしきことよ。一冊の本の初めなり。終わりなき本。一人一人の少女は姫であり、男児は友人なり」
ガウンをまとった卒業生は,あの夜特に美しく見えました。息子や娘が卒業証書を受け取る時、親たちも大層うれしそうでした。卒業証書は、ただ一枚の紙にしか過ぎませんが、しかし、それは十二年間にわたる教師と親と生徒の努力の結晶といえるでしょう。
卒業式は、うれしい時であると同時に悲しい時でもあります。喜びと哀愁の混じり合ったものが卒業式です。勉学の過程を終えて、新しい人生のスタートを切る事は、生徒にとって大きな喜びであり、親にとっても我が子が成長し、この日を迎えたことは最高の喜びであり、息子や娘を学校へ通わせるために経験した多くの区良を忘れて喜びます。共に語り、共に学び、共に遊んだなつかしい母校、恩師、友達と今日限り別れなければならないこの日は、年若き者にとっては又、悲しみの日でもあります。日本で中学を卒業した時、校門を出たくなかった若き日の自分のことを追憶しました。金曜日の夜、涙を浮かべた女生徒が目に付きました。
これが最後だと思う時、卒業式は悲しいものとなります。しかし、主席卒業生は、その卒業演説の中で、「春の終わりが夏の初めである如く、卒業は又、次への始まりである。」と申しました。まことに卒業は、よりよき未来の始まりです。式の後、卒業生と話をし、彼等が自分の将来について、しっかりとしたプランを持っているのを知ってうれしく思いました。世間の人々は、もうこの人たちを今までのように子供としては取り扱いません。幾多の困難が彼等の前にやってくるでしょうが、一生懸命がんがって、初期の目標に向かってがんばってほしと思います。偉大なアメリカの哲学者であり、随筆家であるラルフ・エマーソンは「熱意なくして、偉大なことは何一つなしえられない。」と言いました。この熱意こそ、若人の持ち前でなければなりません。卒業とは出発です。若い人たちは、この熱意と情熱をもって進まねばなりません。若くあることはすばらしいことです。「青春は一生にただ一度やってくる」とロングフェローが云いました。どうか、このかけがえのない時を無駄にしないで下さい。
卒業生、並びに父兄の方々に、もう一度「おめでとう」を申し上げます。どうか、若い人たちがゴールに向かって限りない前進をし、又、ご父兄の方々が、栄えある卒業の日を迎えられたご子息に、今後とも変わらざるご支援をして下さることを念願します。
第九十三話 川 と 人 生
オンタリオの町の東側に、大きな河が流れています。それは、スネーク・リバーです。スネーク・リバーとは、誰が名前をつけたのでしょうか。地図をひろげてたどってみると、まったく「蛇の河」という名前の通り、ぐねぐねと曲がりくねっています。ロッキー山脈のふもと , モンタナ、ワイオミング , アイダホの三州の境に源(みなもと)を発し、アイダホ州、オレゴン州、ワシントン州を通り、遂にコロンビア河にそそいでいます。ある所では南に下り、西にのび、北にのび、全く行方が一定していません。まことに変化の多い河です。だから、実際の長さは地図で見るよりも何倍も長いことでしょう。
私はこのスネーク・リバーのことを思う時、人生もまた、この河のように曲がりくねったものだと思います。まっすぐに自分の思うとおりに行かず、あっちへ曲がり、こっちへ当り、波乱に富んだものだと思います。少し思うとおりになり、順調に行くと思っていると、急に思いがけない事が起こって、人生の方向を変えてしまったり、泣なかされたりします。スネーク・リバーのように、人生も一本調子に行きません。雨も降れば、風も吹き、地震も嵐もやってきます。でも、スネーク・リバーの川の水をごらんなさい。どんなことがあっても、じっと止まることはないのです。岩角にぶち当たったり、せまい谷間の急流を流れる事があっても、決して止まることはないのです。いつも流れています。私は去年の夏、イヤロー・ストーン国立公園へ行った時、スネーク・リバーの始源を見ましたが、あんな所から水はここまで流れてきているのだと思うと、何かこの河に教えられる気持がします。
困難に出遭ったとき、私達はすぐにあきらめてしまわないでしょうか。長い人生には、数多くの岩、数多くの曲がり角、数多くの障害が待ち受けています。でも、これに負けてしまってはいけません。悲しいことや苦しいことが、山ほどやってきても、人生にはこれらは付き物なのです。スネーク・リバーの水が、いつも何事もなかったかのように流れていくように、私たちも、人生の障害に負けずに生きていかなければなりません。我慢を忘れてはなりません。人生を生き抜くことは、易しいことではありません。いつも希望を捨てず、明るい未来を夢みて生きねばなりません。川の水は今日も明日も流れていきます。私たちも川に習って、辛抱強く生き抜きましょう。
第九十四話 新 し い チャ ン ピ オ ン
去る火曜日に、ボクシングのヘビーウエイト級チャンピオンシップ・ゲーム(重量級世界選手権試合)がフロイド・パターソンとサニー・リストンの間で行われ、第一ラウンドの僅か二分六秒でリストンがノックアウト勝ちをして、新しいチャンピオンになりました。このリストンは今までに三十五回の試合の内、ただ一回しか敗けたことがなく、この試合を入れて二十四回ノックアウト勝ちをした猛者です。ボクシングでは、この重量級ヘビーウエイトが一番みんなの注目の的となりますが、特にこのリストンは、彼の持つ過去の事情のため新聞、雑誌、テレビ等でもとり上げられ、人々の話題になっています。
それは他でもなく、彼は強盗傷害の罪で三度も服役した人だからです。事実、彼はボクシングも刑務所の中で習ったのでした。もしも彼が勝って、アメリカの少年たちのあこがれの的となるヘビーウエイト級のチャンピオンになるようなことがあってはいけないから、試合をさせないようにといろいろの反対もありましたが、遂に試合が行われて、結果は彼が王座の栄冠を獲得したのです。試合後のインタビューで、彼は「ギブミーアチャンス」「チャンスを下さい」と云いました。私はこの言葉に心惹かれました。警察の世話になるような悪い過去を持つ人ではありますが、どうかして真人間に立ち返ろうとする真心がききとれるように感じたからです。
彼が何故、悪の道に入ったかは、その人の立場に立てば分からないでもありません。彼が生まれたのは、千九百三十年頃の不景気の真っただ中でした。アーカンソーの綿畑で働く貧しい家庭に生まれ、勿論教育を受ける事もなく読み書きもできません。父親の二度の結婚により、二十四人の兄弟があり、貧乏の苦しさを小さい時から骨身にしみて味わってきました。やがて、ものほしさ、お金ほしさのために悪の道に踏み入り、遂には刑務所を渡り歩く人となったのでした。
人間は因縁によって、善くもなり悪くもなります。菩薩にも悪魔や夜叉にもなります。歎異抄の中に親鸞聖人が「害せじと思うとも百人千人を殺すこともあるべし」と言われたのは、宿業の前には力なき人間の弱さを言われたものでしょう。人のすべての行いには、皆それ相当の理由があります。彼の場合も、家庭の事情、周囲の状況により悪の世界に押し流されてしまったのではないでしょうか。
リストンについては、いろんな意見があるでしょう。しかし、自分の犯した罪に対しては罰を受け、もう刑も果たした彼に、過ぎ去った過去のことをとやかく言わずに、真人間になるチャンスをあげようではありませんか。私たちは誰一人として、過去に暗い影のない者はないでしょう。多分、警察に捕らえられるような悪事はしなくても、自分の良心に反する行いをすることは数多いことでしょう。無傷で一生を送る人は殆どないといってよいかも知れません。そのような私たちに、「お前には悪い過去があるからだめだ」と云うならば、救われていく道はありません。それでは前途は暗闇です。たとえ悪をしても、それを悔い改めて更生を誓う時、すべてが解決するのではないでしょうか。人を判断する時は、その人の過去よりも現在を重く見るべきだと思います。前に悪かった人は、必ずしもいつまでも悪い人ではないからです。
どうか、新しいチャンピオン、サニー・リストンは、過去の悪に目覚め、再び失敗を繰り返さず、名実共に立派なチャンピオンになって欲しいと思います。みんな温かい気持で見守って、ギブ・ヒム・ア・チャンス、更生の機会を与えようではりませんか。法句経にお釈迦さまは、「さきに悪しき行いをなすとも、後に善きことによりて清められなば、雲を離れたる月のごとく、彼はこの世を照らすなり」と教えられたではありませんか。
第九十五話 人 を 拝 む
法華経と云えば、日蓮宗所依の経典であり、信者にとっては二つとない大切なお経ですが、諸経中の王、多くの経典の王といわれているこの法華経は、私たちにも一度は知っておくべきものです。このお経には有名な話がたくさん書かれていますが、今晩はその中の一つをお話したいと思います。
常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の話です。この人は、人に会えば誰彼の区別なく、拝んだ人です。女でも子供でも、会う人ごとに、「汝に仏性あり、汝、まさに成仏すべし。我汝を軽んぜず」と云って拝むのが常でした。今の言葉で言えば、「貴方に尊い仏性がり、貴方は仏になるお方です。私は貴方を尊敬します。」ということです。こうして、すべての人に合掌して生きたこの人は、やがて人々から、常不軽菩薩と呼ばれるようになりました。この人の真の気持が分からない子供たちが、人を見ては合掌するこの人をバカにして、石を投げつけてきたことがありました。石を手に追ってくる子供達から逃げながらも、その常不軽菩薩は、いつもと変わりなく、子供達の方をふりむいて合掌し、「汝に仏性あり。汝まさに成仏すべし。我、汝を軽んぜず」と云ったと書かれています。
一切衆生悉有仏性、すべての人は仏となる性質を持っているから、自分に被害を加える者に対しても、尊敬の念を失わず、すべての人を拝んだという常不軽菩薩の精神こそ、実は法華経を貫く精神であり、同時に私たち仏教徒が深く考えさせられる事です。この不軽の精神こそ、親鸞聖人の〖親鸞は弟子一人も持たず候」という、御同朋、御同行の精神にも通ずるものだと信じます。
全ての人を友達と思ったり、全ての人を尊敬することは、容易にできることではありません。これはただ、宗教的信念があってのみ可能なことです。そして、この不軽の精神こそ、私たち仏教徒が毎日の生活の上で忘れないようにしなければならないものです。良い薬も、実際に使わねば効き目がないように、折角の不軽の精神も戸棚の中にしまっておいては役に立ちません。健康な体をもつことが、みんなの理想であるように、健全な心は私たちの理想です。いばってみようとか、人を見下げる態度は正しい事ではなく、心の病気です。しかし、案外この心の病気に気付かない人が多いようです。病気は私たちを不幸にします。曲がった心が、幸せをもたらすことはありません。では反対に、すべての人をおがむ不軽菩薩の精神は、どんな幸せをもたらしてくれるのでしょうか。父母を拝み、我が子を拝み、兄弟を拝み、妻や夫を拝み、友達を拝み、お互いに拝み合う生活は、即ちそのまま、尊敬し合い、助け合い、愛し合う生活です。そこには、怒りとか憎しみとか差別などのみにくい世界は見当たりません。拝み合うことの出来る世界こそ、理想の世界です。
私たちは、あまりにも拝み合うことを忘れて、それと反対のいがみ合いの世界に住んでいます。古い経典の中に書かれているこの物語を、もう一度注意深く読み返して、拝み合いの精神を学び取ろうではりませんか。私たちは民主主義の世の中に住んでいますが、民主主義はお互いの人格を尊重するところに出発します。人を軽蔑(けいべつ)することではありません。常不軽菩薩の精神は、この民主主義の精神にも通ずるものだと思います。人に上下はありません。拝む事を忘れてはいないでしょうか。この世の人は愛すべき人ばかりです。
第九十六話 悲 し み の 中 に も
明治の昔から歌われている歌に「宵待草」があります。「待てど暮らせど来ぬ人を、宵待草 のやるせなさ、今宵は月も出ぬそうな」一世の皆さんのなかには、この悲しい、さびしい歌を歌った方もあるでしょう。これは、恋人を待ちわびる女心のやるせなさを、宵待草と月にかこつけて歌ったもので、日本では広く愛唱されてきました。
私は子供の頃、母が用事で出て行って帰りがおそく、淋しくて泣いたことを覚えています。帰ることが分かっていても、子供心にはとても悲しく感じました。「待つ身は長い」といいますが、本当に人を待つ身はつらいものです。待てど帰らぬことがわかった時は、どれだけ悲しい事かと思います。肉親家族に亡くなられた時、人はどうして悲しみを耐えていくのでしょうか。亡くなった人は、宵待草の如く最早いくら待てど暮らせど帰ってきません。呼べど答えず、探せど見えず、この世の永遠の別れです。泣くなというほうが無理でしょう。「泣きたいだけなきなさい」というほうが人情だと思います。愛する人を失った人には、慰めの言葉も耳に入らず、如何なるすべも悲しみとなげきをことができません。かけがいのない大事な父母、兄弟、子供を失って、涙なき人があるとは考えられません。涙が涸れてなくなるまで泣いて欲しいとおもいます。この世での最後の別れです。数々の想いでを分け合った人とのお別れです。人生では我慢の出来ない、耐えられない悲しみに度々出会わねばなりません。この愛する家族や友人との死別も、そんな悲しみです。
帰ってこないと知りつつも、もう一度帰って欲しいと思い、どうにもならなぬと知りつつも、どうかなってほしいと願う心で一杯になります。あきらめなければならないと知りつつも、あきらめきれず、忘れようとしても忘れられず、胸もはりさける想いとはこのことをいうのでしょう。広い世界の何億の人の中で、同じ一つの家に住み、共に語り、共に笑い、共に泣いた人のことは忘れられるものではありません。見るもの、さわるもの、行く所すべてが亡くなった人のことを想い出させ、悲しみを一層深くさせます。亡くなった人が、愛する人であればあるほど、悲しみもこれに比例して大きくなります。私は肉親を亡くしたという人をみるたびに、「ああ、悲しかっただろうな。どのように辛抱されたノダロウカ」と思います。この愛別離苦の苦しみは、限りある命を持って生まれた人間には、避けることの出来ない宿命です。一人残らず、この悲しみに遇い、そして、いつか自分もこの世から別れていかねばなりません。
仏の国で永遠に生きることを信じ、再びいつの日にか、再会できる世界を信ずることより他に道はありません。私は家族を亡くされた人に、「仏さまの国へ行かれましたのよ。」と言いますが、ほかに良い慰めの言葉が見出せません。今日は七月十五日、お盆のシーズンがやってきました。亡き人を心の中に迎えるという、このお盆の季節に当り、より一層信仰を深めて、悲しみの人生を渡りたいと思います。
第九十七話 好 き な 人
「貴方は誰を一番愛しますか。」ときかれたら、あなたは何と答えますか。答えるのにちょっと困る問いです。若い人なら自分の恋人こそ最も愛する人だと答えるでしょう。普通、愛という言葉を聞くと、映画に出てくるロマンスや恋愛物語や男女間の愛を想像しがちですが、いま私の言いたい愛は、このような愛ではなくて、「人間を愛する愛」です。
歴史の本から、尊敬できる人として、多分、ガンジー、パスツール、ナイチンゲール、リンカーン、孔子、キリスト、釈尊などの名前がでてくることでしょう。何ゆえ、これらの人立ちは、かくも長く人々の記憶の中に留まっているのか考えられた事がありますか。答えは誠に簡単、それは他でもなく、これらの人々は人を愛する人だったからです。これらの人の共通点は、大きな慈悲心を持っていたことであり、これが彼等を偉人にした所以だと思います。亡くなって長い年月は過ぎ去りましたが、その説いた教えは、今なお新鮮で、魅力的で、人の胸を打つものがあります。
各人の分野は異なれど、人々の福祉と幸福に殊の外、心を配った人たちでした。献身と犠牲という言葉の他に、その人たちの奉仕の精神を表す言葉が見当りません。私たちがこの人たちを好きなのは、彼等が先ず私等を愛する人たちであったからです。固い岩を打つとき、強く打てば強い手ごたえがあるように、彼等は愛の手で激しく私たちを打ったのです。打たれた私たちの反応が、彼等に対する尊敬です。
愛情と親切と慈悲こそ我々の胸を打ち、このすむ世界をより良きところとしてくれるものです。内なる心が良き時、外に現れる行いも良きものとなります。釈尊の言葉の通り、私たちは仏性を内に持ったものです。どうかして、この美しい仏性を外に現すように努めようではりませんか。法句経には、「慈悲深き者は、いづこの赴くとも人に愛され、慈悲心と善行とにより、この世では良き友と慕われ、命終わる時、心は平安に満ち満ちる」といっています。愛と憎しみは、いったいとはなりません。愛の衰える所に憎しみが栄え、憎しみ衰える所に愛が栄えます。私たちを幸せに導くものが愛であり、不孝に導くものが憎しみです。誰も不孝を好む人はないにかかわらず、世の多くの人はこの教えに背いています。
私たちが同朋精神を理解し、全ての人が仏の慈悲のもとに一つであると知って、教祖釈尊の教えた如く、怒りと憎しみを愛と慈悲の心で克服しようではありませんか。夫婦、親子、兄弟、友人などの関係において、相互の信頼関係のない場合を考えてみましょう。そこには温かさが存在せず、如何にもみじめです。互いに敬愛し、慈しむ時、心は平安そのものです。内なる心の幸せこそ、全ての人が求めているものではないでしょうか。利己主義で他人の幸せに気をかけないとき、内なる心は病気であり、正常な状態ではありません。私たちは、この見えざる病気にもっともっと心を配るべきです。
二プラス二は四であり、これは数学上の真理です。水素二単位と酸素一単位を化合すると、水ができるのは化学上の真理です。愛と慈悲は幸福の鍵であるというのは宗教的真理です。みんな過去の偉人の残してくれたこの偉大な教訓に心を留め、これらの人々の言動を範として、自己の修養に努めましょう。
第九十八話 旅 の 想 い 出
シアトル仏教会とホワイトリバー(白河)仏教会に先週末招かれて、お説教をすませての帰り道でのことです。シアトルからは、日本から留学に来ている女学生がオンタリオの親戚に会いたいアトルを出て四時間ほどたった午後一時頃だったでしょうか。ワシントン州のタパニッシュという小さな町を少し過ぎたところで、急に自動車の調子がわるくなり、とうとう動かなくなってしまいました。車をハイウエーの横にとめて、なおしにかかりました。
自動車の機械については何の知識もない私の事とて、車はとめてフードを上げたものの何もすることができません。ただ茫然とエンジンを眺めるばかりでした。タパニッシュから七、八マイル(十キロ余り)も来ており、修繕所も近くには見当りません。月曜日の昼過ぎの事とて自動車もあまり通らず、心細く感じました。しかし、仏さまのお助けでしょうか。半時間の内に三台も白人の自動車がとまって、なおそうとしてくれました。名前はききませんでしたが、職業は農業、雑貨商、事務員のようでした。治すことはできませんでしたが、その人たちの親切には感謝します。ありがたく思いました。お百姓さんが電話してくださり、やがてタパニッシュから引揚げトラックが来て、引っぱって行ってくれました。私はななめに吊り上げられた車の中に座っていました。修繕はすぐにすんで、シアトルを出てから十二時間後にはオンタリオに帰り着きました。
この度の旅での出来事は、すばらしい想い出を残してくれました。アメリカ人に対する良い印象が又一つ増えました。今まで以上に、このアメリカが好きになりました。アメリカの今日の繁栄は、決して奇跡でない気持ちがします。アメリカの隆盛は物質的発展だけではなく、精神的充実も大きな影響を与えているように思います。人前を気にして、ちょっと手助けしてあげればよいと知りつつも、何もしない人が比較的多い日本にくらべて、人目をはばかることなく、良いと信じたことに積極的に助け舟を出すこのアメリカ人たちは、素晴らしい人です。バスや電車に乗って、お年寄りに籍をゆずろうとしない若人たちが多かった日本とくらべて、何か大きなちがいを見せ付けられました。
善い事をするのに、何の遠慮もいりません。ここに見栄とか、人がいるからとかは問題ではありません。困っている人を助けるという心が問題です。この度のあの車の故障で、見も知らずの私のために、次々と止まってくれた人たちに感謝すると共に、このことは私も又しなければならないことだと、自分に言いきかせています。忘れられない印象を与えてくれました。
第九十九話 良 き ア メ リ カ 人
一月号のリーダーズダイジェストに「アメリカの友を作る方法」という短い文がのっていました。副題は「国を出ずに活躍したワンマン平和部隊の印象的な話」となっていました。ご承知の通り、平和部隊とはケネディ大統領が発案した未開発国へ支援のために出て行くアメリカの若人たちのことです。
それは、ウイリアム・ドーソンと言うカンサス大学生の話で、大学で外国留学生のために尽くす話です。留学生たちが、気楽にこの国で過ごせるように、ただ一人で驚くべきことをやってのけたのです。大学に留学生クラブを作り、カンサスの町の人に紹介したり、夏休み中のアルバイトをさがしてやったり、八面六臂の働きぶりでした。アメリカを一歩も出ずして、平和部隊以上に外国からの学生と、アメリカのために尽くしました。
ロサンゼルスを北へ国道 101 を行くと、きれいな避暑地サンタバーバラの町があります。美しい浜辺、有名なオールドミッション寺院、スペイン風の建物、そしておだやかな気候で有名な町です。日本からアメリカへ来て、この町へやってきた私は、ここでジョーン・ハンソンというアメリカ青年に出会いました。カンサス大学生の話に心を惹かれた理由は、多分このハンソンのためだったかも知れません。仏教会の会員が少なかったので通学の機会を得て、彼と一緒に大学へ通ったわけです。ミシガン州から来たまじめな青年で、人助けをすることがいかにも楽しいというようにしていました。英語やこの国の習慣や、ダンスなど手をとって教えてくれました。私だけに良くしたのでなく、朝鮮、日本、台湾、ポーランド、香港、ドイツ、イタリア等からの留学生やアメリカ学生にもよくし、人気がありました。
仕事や下宿を探してやったり、随分と時間を友達のために費やしていました。多くの留学生は自分の国へ帰る時は反米感情を抱いて帰るといわれていますが、言語、習慣、生活手段が全然違うこの国へ突然やってきた、アメリカ人から温かく受け入れられなかった場合の留学生の気持ちがよく分かります。淋しさと心配は言語に言い表せません。ジョーンのお蔭で、私は本当に幸せでした。学生時代の楽しい思い出を与えてくれました。ミシガン州マウントプレサントへ、大学三年の時転校して帰っていきましたが、今はまた、ミシガン・ステート・カレッジで留学生たちの良き友になっていることと思います。
今朝の礼拝は十三人の卒業生を招待して , 卒業生と父兄のために特別礼拝を営みました。おめでとう。卒業といっても、もうこれですべてが終わってしまったというのではなく、人生における一つの段階にすぎません。なお一層の努力をおこたらず、勇猛精進していただきたいと思います。このおめでたい時、卒業生諸君がこの二人の良きアメリカ青年のことを考え、これを模範としてこの社会により良き理解と愛情が生まれるようにつくしてほしいと念願します。
第 百 話 最 後 の 説 教
釈尊の亡くなられた二月、涅槃会(ねはんえ)法要が各仏教会で行われます。西暦紀元前四八六年二月十五日に亡くなりました。今晩は経典から、釈尊臨終に際しての感動的な場面を二つ三つとりあげたいと思います。
経典は、この悲しかるべき瞬間を実に荘重に描写しています。「わたしは、もはや老い衰え、老齢すでに八十となった。汝らは、自己を灯明とし、自己を依り所とし、法を灯明とし、法を依り所とせよ。」と釈尊は語り出します。この時、弟子アーナンダは自分の居間に入り、戸口のカンヌキを持ったまま、さめざめと泣きながら立って、「ああ、いとしき教主は私を残してゆきたもうか。誰がこの師なき後、教えたもうか」と悲しみます。釈尊はアーナンダを呼んで、「アーナンダよ、泣くな。すべて愛し親しめる者も、ついに生き別れ、死に別れなければならぬと私はかつて説いたではなかったか」と慰めます。
涙をこらえつつ、アーナンダは仏陀に更に問いかけます。「汝亡き後、誰がわれらを導くか。」この時、仏陀は最後の力をふりしぼって答えました。「たとえ、この体はなくなろうとも、如来は滅びない。私が説いた教法と戒律とは、私が亡き後のなんじらの師である。なんじらの中に、仏につき、或いは法につき、或いは僧伽に月、或いは実践の方法について、何か疑問や惑いのある者があるかも知れぬ。もしそうならば、問うがよい。後になって、われらは師のそばに居たのに、問うことができなかったという悔いを残してはならぬ。だから、今尋ねなさい。友達が友達に尋ねる気持ちで問うがよい。」
比丘たちは皆だまっていた。二度三度たずねられたが、比丘たちの中で言葉を発する者はなかった。「比丘たちよ、汝らはまさに仏につき、法につき、僧伽につき、或いは又実践の方法につき、疑いや惑いのある者はないと信ずる。汝らは真理の法と苦しみの原因と救済の道を知った。では弟子たちよ、わたしはなんじらに言おう、すべてのつくりあげたものは壊法(えほう=こわれゆくもの)である。怠(おこたる)ことなく精進するがよい。」これが、仏陀釈尊の最後の言葉でありました。経典が述べるように、釈尊の最後はその人の教えと人柄にふさわしく、もことに静かなるものでした。するべき仕事はすべてなしとげて、心は満足に満ちあふれていたという感じです。最後の瞬間まで、慈悲の心から伝道を続けてきたこの人も、遂に四十五年間の伝道に終わりを告げて、八十歳を一期に亡くなっていきました。
この仏陀の最後の説法は、「事故をよりどころとし、真理をよりどころとせよ。なまけ心なく精進せよ」と昔から短く言い伝えられています。ルンビニー園でうまれた釈尊は、沙羅双樹の林の中で、西を向いて横たわり、静かに亡くなっていきました。外で生まれ、外で亡くなった釈尊は、世に出て人々に慈悲の教えを誰よりも伝えたかった方でした。
あ と が き
学生時代をすごした京都は、懐かしい町です。この古都で出版できることは光栄です。
放送は毎日曜日午後六時、オンタリオのラジオ局からしました。放送時間十五分の内、前後三分間は讃仏歌を流し、説教は日英各六分程度のものです。未熟者の私のこととて内容もお粗末ですが、米国仏教団ならびにアメリカ仏教の紹介の役目でも果たせればと思います。英語説教(日本語翻訳)は、日本の若い人たちにも分かっていただけると思います。
終わりに際して、出版について無智な私に種々ご指導くださり、帰米日時が切迫した私の無理な注文を快くお引き受けくださった内外印刷の小島正臣氏並びに中外日報社の藤井茂樹氏、原稿校正をしてくださった竜大教授小笠原宣秀氏、原稿整理を手伝っていただいた竜大学生大場智枝嬢に厚く御礼申し上げます。
私の信仰 米国仏教放送 一九六四年五月二十五日 印刷
一九六四年五月三十日 発行
印刷所 内外印刷株式会社 京都市下京区西洞院七条南
取り扱 中外日報社 京都市東山区一橋宮ノ内七
著 者 竹村義明 ( たけむらよしあき )
286 S.E. 4th St.
Ontario, Oregon U.S.A.
昭和九年(一九三四年)島根県に生まれる。滋賀県に育つ。一九五六年龍谷大学文学部卒、専攻仏教学。一九五六年暮、西本願寺海外開教使として渡米。 一九六〇年加州サクラメント州立大学卒、専攻心理学。加州サンタバーバラ仏教会及びフローリン仏教会を歴任して、現在アイダホ・オレゴン仏教会に駐在。
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