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物語 - その他関係
48 - 人 を 使 ふ 法 片 桐 元 吉 |
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人 を 使 ふ 法 片 桐 元 吉 清水次郎長は、その当時、命知らずの子分たちを、まるで自分の手足を動かすように、思いのままに動かした親分であったが、彼は子分たちの失策を、決して人の前で叱ると言う事をしなかった。 明治新政府で大臣の職にあった榎本武揚が、「わが輩の下に、四百人ばかりの人間が働いているけれど、どうも自分の思うように動かなくて困る。」と云ってこぼした。すると、これを聞いた次郎長は、「はぁ左様でございますか。」と聞き流しながら、しかし何か胸に思い当たるフシでもある風であった。 「そこで、次郎長、お前は五千人からの人間を、いかに子分だとは言え、まるで手足の ごとく動かしたそうだが、そこには今のわが輩として学ぶべき呼吸とでも云うものが あるであろうと思う。あったら、一つ聞かしてくれないか。」、 「別に、これと云って、呼吸などという程のものはございません。」 「いや、あるにちがいない。今日は一つ、それを隠さずに聞かせて呉れ。」 しばらく、腕をこまぬきながら考えていた次郎長が、「そう云えば、私はまだ一度も 人前で子分を叱ったことがご座いません。取り立てて云えば、これくらいの事でござい ます。」と答えた。 さすがは榎本武揚、この一言を聞くとハタと膝を叩き、「そこだよ、次郎長 有難う。 お前の一言によって、わが輩も少しばかり 人の扱い方を会得したよ。」と云って、 大いに喜んだと言う事である。 人前で決して人を叱(しか)らないこと これは、一見何でもないようだが、よほどハラの出来た人でなくては、中々できないことである。落ち度があったとしても、叱られて気持ちがよい人間が世の中に一人とてある筈がない。ましてや、人前で叱られたとしたら、それこそ、その人の心に大きな歪み(ゆがみ)をもたらす。それは、一度だけでさえイヤになってしまうのに二度も三度も四度も頭からガミガミと怒(おこ)られたら、どんなに辛抱強い人であっても、カゲではペロリと赤い舌を出して、それこそ「チェッ!」が、おきまりである。 深く考えもせずに あるいは 店員を あるいは 我が子を あるいは おのれの妻を 人前で𠮟っていませんか。 他の人がいる前で叱ってはなりません。 第三者がいる前でむやみに叱り飛ばしてはならない。𠮟るときには、二人が差し向いとなり、他の人の目にとまらぬように気を付けて、声を和らげて注意をし、叱る言葉は一語でも少なくするがよい。 著 者 片桐元吉 「人を使ふ法、使はれる法」より 発行所 現実處 東京神田区 清水次郎長と榎本武揚 竹 村 義 明 清水次郎長(1820-1893)も榎本武揚(1836-1908)も共に幕末から明治にかけての歴史上実在の人物である。次郎長は文政3年に生まれて明治26年に亡くなるまで挟客、博徒として広く名を売り、榎本武揚は徳川幕府の幕臣であったが明治新政府にも迎え入れられた奇特な人物である。天保7年に生まれ、明治41年に亡くなっている。 旧幕府海軍副総裁だった榎本武揚が官軍に追われて品川沖から北海道函館に逃走中、暴風雨に遭って艦隊の中の咸臨丸が破船して清水湊にたどり着いたが、新政府海軍によって乗組員全員が死亡した。其の死体が腐敗するままに放棄されて行くのをみた次郎長は周囲の反対を顧みず、遺体を収容して埋葬して碑を建立した。榎本は函館戦争で敗退して捕らえられ、二年間の投獄の末ゆるされて後、明治政府の文部、外務、および農商務大臣を歴任した。このような関係で、次郎長と榎本には深い交流があった。榎本はまた日露戦争の後に海外移民にも熱意を示し、五千人余りの農業移民をメキシコへ送り出している。日本の海外移民史の中で、静岡県は順位は非常に低いが、移民史初期に静岡県の一地方はアメリカ村と云われるほど移民が多かったが、次郎長と関連するところがあったのだろうか。(メキシコは中米にある) 私の祖父は、1898年に渡米てして1900年初頭よりワシントン州ホワイトリバー地方に住み、イチゴ栽培をするかたわらオーバンのタウンに日用雑貨・日本食品の店を持ち、クリストファーの鉄道線路添いに貨車の入る大きな倉庫を持ち日系農家に肥料を販売し、多くの人を雇って同地でひろく知られていました。1967年に死去しましたが、彼の死後20年も過ぎた頃、戦前はワシントン州に住んで千代吉を知っているという人から「世話をかけましたが、とても親切な人でした。」とカリフォルニアのサンノゼで聞いたことがあります。祖父の遺品の中に薄茶色に変色して古びた36ページの薄っぺらな本「人を使ふ法」があるが、その最初のベージの最初の言葉は「人前で𠮟るな」で始まっている。祖父はこの本をいつも読んでいたのだろうか。
一世パイオニア資料館
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