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  物語 - その他関係
46 - メキシコの予期せざる喜び 佐々木ラバーン
 
             
 

メキシコの予期せざる喜び         佐々木ラバ-ン千洋

2004年1月


昨年12月に16日間のメキシコ旅行に妻と参加しました。このツアーのお陰でメキシコの歴史と人々に対する敬意と理解を深めることができました。忘れがたい思い出の数々、、、、ディエゴ.リべラの強烈な思想を示す壁画、華麗な大聖堂、すばらしい博物館、ピラミッドへの登頂、カラフルな宗教行列、初めて見た闘牛試合、メキシコや世界の英雄の銅像、、、等々。それに加えて、連日春のような穏やかな気候に恵まれて、深い感銘を受けました。

この度の旅行は、見学や見物を主とした楽しいものでしたが、私はこの度の旅行の最大の喜びを、思いがけなくも人口1500万人の世界最大の都市メキシコシテイの一角で味わいました。それは浄土真宗メキシコ本願寺、惠光寺での出来事です。近年シアトル別院を最後に引退するまで米国仏教団(Buddhist Churches of America)に所属していた竹村義明師がそこの住職でした。私はアメリカのBCAのお寺と同じようにメキシコでも日系人が中心の集まりを予想して出席しました。旅に出る前、「出来たら旅行中にお寺にも行きたい」と知らせましたが、竹村師からお寺や信徒のことについて何も聞いていなかったのです。しかし、そこに40人ほどの若いメキシコの人たちの集まりを見た時は全くの驚きでした。聖堂は畳(畳)と 椅子の二つに仕切られていましたが、日本人の血をひく者はわずかに私たち五人だけでした。(日系人の僧侶四人と私の妻ヘレン)

お参りは午後七時から2001年に作られたたスペイン語の真宗礼拝聖典の念仏和讃、続いてスペイン語の翻訳和讃の唱和で始まりました。この時、私は歴史的にカトリック教の影響の強いメキシコの人たちが、言葉や文化の相違を超えて、みんな綺麗に声をそろえて唱える言葉の響きに心打たれて、こみ上がる喜びと感謝の涙を抑えることができませんでした。この日の集まりは二時間半に及び、私の短い英語法話、戸髙師のミュージックに合わせたスペイン語の聖句朗読、石井師のスペイン語法話、休憩をかねてのパトラックデナーがありました。その後、若い女性の素晴らしい通訳付きの活発な質疑応答の時間、私の2回目の短い法話と続きました。

最後に、全員がタタミの上に30フィート(約8メートル)もある長い念珠を持って大きな輪となって坐り、竹村師指導により内省と黙想に時を過ごしました。九人のメンバ-が一人ずつ呼び出されて暗記しているスペイン語の「ゴ-ルデン.チェイン」をリサイトするように言われた時、何の抵抗も示さすに素直に立ち上がり、指示に従ったことに強い感銘を受けました。私たちの北米教団BCAでは、そのようなことは日曜学校の礼拝で生徒の子供がするのですが、指名されてそれに従ったメキシコ人の大人の「素直な姿」の中に「初心」のすばらしさを見ました。念仏の教えを聞くために欠かせない大事な姿勢を彼らは見せてくれました。現今では稀になってきた信仰の上での姿勢を彼等は持っていました。カトリックの教えに満足できなくて、何か他に答えを求めている人たちにとって、温かく迎えてくれるここは本当に心の和らぐ場所たと話していました。

忘れがたい強烈な印象を与えてくれたこの夜の出来事は、お釈迦さまや親鸞さまの教えが真 に世界に通するものであるとの信念を一層強めることにもなりました。そして、それと同時 に私たちのアメリカの仏教会が、より開かれたものとなってほしいと強く感じました。




合 掌

佐々木ラバーン師は米国仏教団を2000年10月に引退して現在はサンフランシスの近郊サンプルノに居住.。BCA最後の赴任地はサンフランシスコ仏教会。原文の英語文は米国仏教団の月刊誌「法輪」に2004年1月号に掲載された。上記の日本語訳は竹村。




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