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物語 - その他関係 23 - 対日宣戦・ルーズベルト大統領 - 議会演説 |
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対日宣戦・ルーズベルト大統領 議会演説 1941 年12 月8 日
副大統領並びに議長閣下、上院下院議員諸君 昨日、十二月七日、突如我がアメリカ合衆国は、日本帝国海軍及び空軍により計画的に襲撃さるる所となった。此の日こそ言語同断卑屈きわまる日として末代までも伝はるであろう。 合衆国はその時なお同国と平和関係にあり、日本側の懇請により同政府及び天皇と太平洋の平和を維持すべく折衝中であった。事実、駐米日本大使の一行が、我が通牒に対する返書を国務長官に手交した時は、日本空軍編隊が米領オアフ島の爆撃を開始せる一時間後であった。しかも、此の返書は之以上外交談判を継続するの無用を述べたのみで、戦争を暗示するものでもなく、軍事行動を示竣するものでもなかった。 ハワイと日本の距離を考慮すれば、此の爆撃が幾日、否、幾週間も以前から熟考計画された事が明らかに看取され、此の点は史実として記録されるであらう。他方、此の間、日本政府は恋に虚偽の言辞を以って平和維持を希望するかの如く合衆国を瞞着していたのである。 昨日のハワイ襲撃により、我が陸海軍は多大の損害を蒙り、尚、幾多の人命を失ったのを遺憾ろする。さらに米国船舶がホノルル、桑港間の洋上に於いて魚雷に襲われたと報じられてゐる。 昨日 日本政府は馬来半島にも攻撃を開始した。 日本が全太平洋各方面に亘って奇襲攻撃の作戦に出てゐる事は、昨日今日の事実が其れを物語ってゐる。既に合衆国々民は与論一決、我が国家の存亡、安寧そのものに対する重大な危険を充分感知してゐる。 余は陸海軍総司令長官として国防に必要な総ての手段を採る様指令し、又全国民が我が国に対する此の襲撃の性質を常に忘れざるやう訓令した。 此の敵の計画的襲撃に打ち勝つには、如何に長年月を費やさうとも米国民はそそ正義の力を以って、最後の絶対勝利へと邁進するであらう。 余は我々が最大限の努力を以って国土を防御するのみならず、かかる裏切り行為が二度と再び我々を脅かす事のないやうにせねばならぬお主張する。そして此の事は議会及び国民の意志であると確信する。 交戦状態は既存の充実となった。我が国民、我が国土、我が権益が重大な危機に直面してゐる事実を回避するわけにはいかない。 吾が国軍を信頼し、我が国民の無窮の覚悟を以って我々は必勝を期するであらう。神よ、我らの上に御加護のあらん事を! 余は此処に、昨日曜日、一九四一年十二月七日以来、日本の謂われなき卑劣極まる襲撃に依ってアメリカ合衆国と日本帝国は戦争状態に入ったものと、議会が布告せられん事を懇願する。 翻訳 日米民主委員会 Japanese American Committee for Democracy
前・米国駐日大使 ジョセフ C. グルー ( Joseph C. Grew ) は1942 年6 月25 日、横浜から交換船で帰米し、1942 年11 月に「Return from Tokyo 」を出版したが、ニューヨークの日米民主委員会はこれを日本語に翻訳して、1943 年8 月「日本より帰りて」を出版した。宣戦布告議会教書は、その巻頭に入っている。 巻末の表記によると、日米民主委員会出版部は、ウエンデル・ウイルキー著「ワン・ウオールド」の日本語版出版予告をしている。 ルーズベルト大統領の演説後、上下両院は直ちに日米戦争開戦布告宣言決議案を圧倒的多数決で可決し(上院82 -0 、下院388 -1 )、運命の日米戦争は始まった。 (反対は上院下院を通じて、クエカー教徒でモンタナ州選出の下院議員ランキン女史の一票のみ。)
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