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物語 - その他関係 14 - 太平洋一人ぼっち - 仏教放送 |
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第五十一話 太 平 洋 一 人 ぼ っ ち 仏教放送 皆さん、今晩わ。お元気ですか。 一九二七年、リンドバーグは大西洋横断飛行に成功し、一躍アメリカの英雄となりました。今ここに第二のリンドバーグが現れました。それは他でもなく、ただ一人十九フィート(約六メートル)のヨットに乗り、九十三日の航海の後、太平洋を渡った二十三歳の日本青年です。三月十二日大阪の港を出て以来五千二百マイルの航海を終え、先週の日曜日の午後、一隻の小さなボートが金門橋の下をくぐりぬけて、サンフランシスコの波止場に着きました。 この信じ難い冒険には、ちょっとの事には動じないアメリカ人も舌を巻き、堀江青年の勇気と決断力に賞賛の嵐を送りました。彼は、航海中、五度の嵐に会い、積んでいた衣類や本、かなりの食糧を失い、何回となく進路を変えて、やっとの事で到着したのでした。来る日も来る日も、毎夜毎夜、荒海で孤独と戦い続けてきたのでした。日本出発の際、パスポート(旅券)もアメリカ政府のビザ(査証)も持っていませんでした。日本政府は、かかる航海は自殺に等しいと見て、旅券の発行を拒んだため、結局彼は法律を犯して出発した訳です。 しかし、この航海成功後、事態は一転しました。アメリカ移民局は、特に三十日間の上陸許可を与え、冒険好きなアメリカ国民は、温かくこの日本青年を迎えたのです。サンフランシスコ市長は、名誉ある「市の鍵」を与え、又、事業家たちは留学希望ならば、在学中の奨学資金を申し出たのです。日本のある船会社は、日本への無料乗船を申し出ました。日本の人たちは、みんなの手で日本に帰ってもらおうと、資金募集運動を始めています。初めて太平洋を横断したこの青年に、「英雄の歓迎」が待ち受けています。 新聞、テレビの記者会見で、堀江青年は「アメリカの岸に着くようにと強い決意を固めていました。勿論、途中ではひどい目にも会いましたが、たとえマストが折れようとも、必ず目的を果したいと、自分に言い聞かせていました。」と言っています。どこからそんな勇気が湧いて出たのかと不思議なくらいです。人は固く決心をする時、想像以上に強くなるものです。アメリカに来たいと周到な準備をし、それに加えて彼の強い忍耐心により、遂に太平洋横断に成功したのでした。 毎日の如く新聞をにぎわす、この冒険記事を読む時、私はこれを、精神的な幸せを求めて王宮を抜け出た釈尊に比べてみています。仏陀釈尊は六年の歳月にわたって、当時最高の学者を訪れ、なお真理を探し得ず、菩提樹下に座し、「我レ、正覚を取らずんば断じてこの場を立たず」との誓いを立てられました。古い経、スッタニパータには、如何に釈尊が寄せ来る肉体的苦痛、おそれ、疑い、淋しさ等と闘ったかを記しています。座禅思索すること四十九日の明け方、太陽がまさに東の空に上らんとする時、遂に悟りを得て悟れる人仏陀となられたのです。仏教はかくして始まったのです。法句経には、「たとえ戦さの野にて千人の敵に勝つとも、己れに勝つ者こそ最上のつわものなり。」と教えています。自分自身に勝つ事は並大抵の事で出来るものではありません。誘惑を退けて自己の所信を貫くことは難しいことです。大いなる勇気が必要です。アメリカ国歌にあるように、誰もみんな、勇気ある人を好みます。今一度お互いに、自分はこの心を忘れていないかを顧りみようではありませんか。 それでは皆さん、来週までお元気で。さようなら。 1962 年 8 月19日 オレゴン州オンタリオ市 KSRVラジオ局より放送
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注 |
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一世パイオニア資料館 - isseipioneermuseum.com - 2012 |