海軍日記 昭和19年(1944)
1月 1日 五月四日、本日記を買い求む。一月以降を記憶をたどり記す。午前
六時起床。洗顔の上、東方遥拝、家族の無事祈願。八時半宿舎の前
庭にて社員一同東方遥拝、皇室聖寿万歳。九時小学校於いて式に席しむ。
1月 2日 別に遊びに行く処なし。囲碁を遊びなどし終日過ごす。
1月 4日 仕事初め。
1月 5日 西沢君と同道、綿の作況視察。
一、サンタバルバラ 生育遅延、稲回復、タバコ蟻発生を見る。
一、 バウイヤ 生育良好
1月 6日 西沢君と同道、綿作況視察 一、サンミゲル 生育順調。タバコ蟻
の発生甚だし。小学校の生徒をしてこれの駆除に努める様打ち合わ
せをなし帰場。
1月 7日 昭和十八年度十二月現在に於ける綿作資金貸付状況報告。十三時自
動車にてバビヤニ出張、ヨコバイ煙草蟻随所に発生せる由、途中状
況の視察しつつ帰場。害虫買い上げの件。承認申請。
1月 8日 内地に安否如何の照会電報を打ちぬ。
1月 9日 家内宛 一信を出す。
1月11日 バビヤニ出張、害虫被害調査、同所宿泊、夜、囲碁など遊ぶ。
1月12日 ブヨー地区視察、概して良好、害虫発生少なし
1月15日 午前九時過ぎ散歩途中、渡辺、太田君日曜日とてイロイに出かける
とか。ハローに行き遊び、途中に藤田君と出会いトラックを待ち合
わすまで話し、車を拾い帰る。
1月18日 別に是れとてなす事もなく、貸付金の事など整理。比島の御百姓さ
んはなにするにも前渡金を借りたがる。これも従来からのやり来る
もの。これが地主からしぼりとられるのも知らずに。
1月20日 家内、西板、三雄よりの二ヶ月振りの来信。なつかしくて内地の動
静 手に取る様。
1月21日 長男秀之宛 幹候試験方打電。
5月 4日 病院訪問、二人共大分経過よく、木柿君は近日中退院の由。
5月 5日 サンバラ収買
5月 6日 木柿君退院
5月 7日 在郷軍人の軍事教練、九時半迄。マリヤ訪問、三時帰社。
十日弟の誕生日なりを以て、来るよう。
5月 8日 病院に弓削君を問ひ、x綿工場の運転用法に対し意見の交換。
西沢君に話し、青谷君を呼びだして話しをした。四五日、藤田君の
様子を見てとの事。吉沢君来場、晩餐を共にす。
5月 9日 サンバラ地主の清算。マニラ新聞来る。古賀連合艦隊司令長官、
飛行隊にて作戦中 殉職せられた旨、初めて知る。
5月10日 パビヤ収買。出廻る。僅か二〇〇キロ程。昨夜、付近に襲撃に来
た由。マリヤの弟、誕生日とか接待 ご馳走になり七時頃帰社。
5月11日 収買の整理。体だるくて きつxxxx。
5月13日 収買漸く一落せしも予定の六割に過ぎず、治安悪き為、出廻り少し。
青谷君、ヘネラリナ宿泊の際OOを出かしたという、困ったもの。
5月14日 雨 二時間余りに亘り教練。午後二時より自転車にてハローに出掛け、
母子イロー市に出るとて同道、従姉に内に至る。久方振に降雨、楽し。
5月16日 前日に引き続き決算すれど回収金、雑の換金等一致せず。女事務員
にやらしたものが、ほんの機械的にてなんの頭なき事、実に驚きしゃくに
さわるばかり。
5月17日 地主 精算、金払う。五時過ぎ帰場、残金多し。
5月18日 午後五時過ぎ、マリヤの内に行き、来る日曜日に遊びに来れぬ旨。
二十日より勤労奉仕にて奉仕に四日間の予定なるを以って。夕食済まし帰る。
5月19日 「さんみける」の清算。明日より四宿の予定にて勤労奉仕の予定な
りしも日帰りに決定さる。日帰りの勤労奉仕なれば楽なもの。
5月20日 勤労奉仕のため午前七時半頃出発。十時半頃カバツアンの飛行場に
着く。休憩。中食後、労働者の監視。五時過ぎ帰る。途中 雨降る。
5月21日 体疲労せしため訓練を中止、ゆっくり体を休むべくハローに行き休む。
家族のものマージャンをもて遊び、見ていたれどつかれ寝づく。
三時頃まで休む。おかずを戴き、アボカード六個、xx壱物土産。
5月22日 各駐在所の精算も引き続き行ふ。途中、マリヤ退社せし間其後のルークデスに
まかせであるので、ほんの書くだけの項、ひとつも合致せず、
清算するのに全くへこたる。
5月23日 各駐在所の精算、漸く一段落す。「さんみげる」付近部落に匪賊来襲せし由。
いつ治安よくなるやら全く五里夢中の体。家族より二月振りにて来信。
相変わらず元気にて過ごしてゐるとの事。。。。。。
5月24日 自動車行く準備出来ず、前日依頼せしも。久保。収買思ったより少なく期待はづれ。
(さんみげる)午後三時半過ぎ帰場。
5月25日 昨日の「さんみげる」の収買の精算、ほんの僅かなれど終日かかって済ます。
5月26日 午前十時、キバラス出張。パニカにて十一時過ぎ到着。午後休憩。
夜 マージャンを習う。比島に来て別に習ふ事もなし、只遊び事でも覚へん。
この遊も内地ではいやな遊びと思ってゐたけれど別に遊ぶ事はなし。
5月27日 午前中、中田、山崎君とXXX。農場調査。午後休む。前日に引き続き習ふ。
夕方 Xの調査。
5月28日 小作人を集合、現在の耕作状況の調査。午後五時過ぎ帰場。無智なもの、
自分の作ってゐる面積すら解せず、これでは知識能力のものよりすこし
騙されるのが当然の様に思わる。
5月29日 小柳君に依頼せしもの また合致せし為、耕作の報告でも書き初む。
5月30日 代休。マリヤの内にて休む。家庭的御馳走余程美味しく身につくものの如く感ず。
夕方めろんの土産でもとて帰る。
5月31日 販売の事土も漸く一段落せし為、綿作の報告ども書き初む。
6月 1日 勤労奉仕 午前七時半集合 一行七名。道路下の竹林の伐採の監視。比較的楽なり。
6月 5日 収買関係その他雑報整理。これにて事務の方 一段落す。
マリヤよりアボカード、マンゴーその他届けられる。
裕子、家内より来信。秀之の検査の事ども。第二乙種の由。
6月 6日 パピヤ稲作の状況調査に自動車にて出張。中食をすまし野菜等買求
め、帰る途中、立ち寄り野菜を少しわけやる。四時過ぎ帰場。本日
よりx兵検査初まる。
6月 7日 家内宛の手紙書きぬ。別に書く事もなく、只安否を。
6月 8日 バ美や永井君変える。ギマラス行きの復命原稿を書く。
6月 9日 ギマラス復命の浄書、マニラの報告をなす。あと試験成績を書けば殆んど一段落の形。
6月10日 水野君、八時の自動車にて帰るとか。十二時過ぎ藤田君来る。まだ帰らざる由。
四時過ぎ、サンミゲルに行く途中会わず帰る。自動車を間違えたとか。
六時過ぎイロイロの帰り来る、安心す。
6月11日 九時過ぎ自動車にてマリヤの内に行く。今日飲み物、準備ならん、xxな
どこしらえて。十時半頃、パビアールの注射少しいたみ十二時過ぎまで寝る。
久方振りにビール うまいものを飲みつつ中食。午前六時車にて帰る。
6月12日 木柳(木櫛 ) 君入院しぬ。体をこわしたものの如し。気の毒。午後
6月13日 サンミゲル 匪賊襲撃し来る由報告あり。明日の収売は中止する。
6月14日 木柳君 盲腸とか、あす手術する事になりし由。貸付金の程をギマ
ラス敵産の調査の準備など。 帰る時、子供 ( マリヤ ) の靴など形を見て帰る。
6月15日 十二時より木櫛君 盲腸の手術、二十分後に終わる。其の後経過良好。靴の見本等見る。
6月16日 本年度よりの事業計画は全事業を米、x、柿の三種類とし、係りを部長制度とする事。
6月17日 どうも落ち付かず。また匪賊が出るため。
6月18日 いつ行っても家族的で何にかと馳走して呉れるので、日曜日が一番楽しい。
丁度 裕子と同じ年位なので 内の事思ひ出される。
6月19日 午前九時過ぎギマラス x産の農耕地調査に出張。午後 自動車の
故障のため中止。夜マージャンをやり遊んだ。
6月20日 午前中 自動車動かず。午後二時 調査のため兵隊同道出張。
前夜に引き続き遊び。カモテ五グラム買ひぬ。
6月21日 カモテ五グラム 前日と十グラム。よい土産が出来た。これも前から注文。
マリヤの内より。
6月22日 午後五時夕食をすまし、マリヤの内に行く。イロイロに出掛けたるとか、
六時過ぎ親子づれ帰りぬ。スリッパ、マンゴーを貰ふ。家族、裕子より来信。
6月25日 在郷軍人の訓練。駆け足約四キロ。無理とは思へどついて行く。
十一時三十分 娘の処に行き注射し一時間程午寝。中食を出す。ビール
等出し馳走して呉れた。中島、緒方君はさきにすまし帰ったる由。六時過ぎ帰りぬ。
6月26日 体どことなくいたみきつし。家内、裕子宛 手紙を出す。
6月27日 腰いたみ、具合悪く病院に行き電機治療、心地よし。午後休む。
6月29日 マニラより伊香君突然来る。宮崎君に五〇〇円電送方依頼せしに、
三五〇円だけ送って呉れた。xxxx 一寸しゃくにさわった。
7月 1日 病院に行き血管注射、本日終了。腰の具合良好なり。
7月 2日 散髪をなし、ハローに遊びに行く。折角の中食も二人の兵隊のため
面白からず。手相を見てもらふ。内地と同じ様な事を云うふて居った。
7月 3日 とも角、面白くなく、内地に早く帰り度い。機構の変更もなにも面白くなく、
仕事もいやだ。内で百姓した方が余程まし。四条君サンミゲルに行く。
7月 4日 五時過ぎ、見本にかりし靴をかえしに行く。イロイロに出たとか留守。
六時半頃帰来る。夕食を食べて行けと聞かず。ほんのすこし手をつけ七時半頃帰る。
7月 5日 雨期ならん、朝より雨。キビスの稲原君この地に呼ぶ事にし、バビヤの
小田君を割xして呉れとか。勝手にしやがれ、こちらもどうせ、これとおなじ。
7月 6日 手持ちで好奇心ある。ハミガキ、ポマード、剃刀を会計に請求。畠君より
小田君の事を話し出せリ。明日,バビヤに行き一応話して見る事にせり。
7月 7日 八時の汽車にてバビヤ行き。途中二回とまる。とことこ歩いて行き小田君と話する。
あまり行きたくはないものの様。折角なれてゐる事だし。病院に立ち寄り小柳君を見舞ひ帰る。
7月 8日 大詔奉戴日。ヘネクラ宿舎移転の件。まるで猫の宿貸位しか思ってゐない。
会社といふ所は一日も早く退めた方がいい。来年は死んでもと、帰鮮人の言葉ではないが。
7月 9日、日曜 久方振りにて社長宛の礼状を書く。十一時頃の車にてハローに出掛く。
運の悪い車で、のろのろ四十分程かかり、十二時十分前に着。中島、緒方君中食に来るとか、
一休し、あとで一所に食べる帰り、マージーの土産あり、配給品をやるので大嬉び。
7月10日、月曜 小田君来る。カビス行く事に決定。愈々話し相手もなくなった。兎も角、
一日も早く比島を引揚げたい。する事なす事、まるで出度羅目。馬鹿になって、
なんにも云ふまい。出来るだけ呑気にする事。今後、ものを云わぬ事。
7月11日 山崎君ギマラスに行くとて送別の意味に於いて会食。物価の挙がった事話にならぬ。
うっかり会食も出来ぬ。ほんとに日曜日の中食は有難く、そうやすやすは馳走にもなれぬ。
余程節約せねば、内地送金もできかねる。
7月12日、水曜 今まで本年度の契約保険の書類来ていてもこちらには見せて呉れず。
役所と違って、別に急ぐ事はなし、呑気な事。
7月13日、木曜 社休を取り休む。九時過ぎ、散髪すべく出て行きしも休みにて菓子等買い求めぬ。
冨美子の霊前 マンゴーと共に供えぬ。藤田君来る。午後ハローに遊び、注射。
帰る時、叔母より土産。
7月14日、金曜 又引越し。一年中引越しを二度はやるべきものか。十二時一寸前、トラック来る。
引越し。午後三時まで掃除。夜寝付かず、あまり休まれぬ。
7月15日、土曜 市内コンコードの破損したものの運搬。午後三時過ぎ帰り散髪し帰る。
7月16日、日曜 訓練に見学に行けど、途中サボって早く帰る。ハローに遊びに中島、
緒方君と共に中食。別にすればと思えど御礼に煙草を送る。(娘)マニラに勉強に
出る様な口振り。マニラにでも出たら愈々淋しくなる事だらう。家内宛の手紙を書く。
裕子、秀之にも出さなければ。
7月19日、水曜 小田君と同道。ハローまでバスにて行き、汽車に乗る予定の
雨 ところ、最近通わざる由。ハニワイ行きの自動車にて行く。田舎の
方が余程呑気。只、治安が問題。
7月20日、木曜 八時半頃、バブイヤを発、四十分頃ハローに着。コーヒーを
雨 のみ、しばし休む。九時過ぎ、マリヤの内に行き寝む。中食後一時
間午睡。三時頃、おやつを戴き五時過ぎ出発帰る。なんと云っても
家族的情味があり心地がいい。少し話が出来ればと思ふ。
7月21日、金曜 本月より当地台銀より送金すべく、送金方法等聞き、午後
雨 銀行口座に払い込む様にし、三〇〇円送金。
7月22日、土曜 家内宛、送金方法の通知の手紙を出す。少しは金の着くのが
雨 遅れると思ふけえど、別に急ぐ解ではなし。秀之にも、あと二ヶ月
で済む事だし。
7月23日、日曜 午前 雨の為、小田、藤田君と碁を打ち、午後中食を済まし
雨 遊びに行く。いつ行っても内に帰った様な気持。今少し言葉が解れば。
注射打ち一時間程休む。六時過ぎ、親子三人イロイロに出ると
て車にて内まで送って呉れぬ。
7月24日 山崎君、愈々ギマラス工場に出発。舟まで見送る。話し相手一人減ったわけ。
7月25日 毎日雨ばかり。雨期とは云へ、よく降るもの。 時候の関係か体の具合順調ならず。
7月26日 長久君来る。バウイ警備隊引揚げるとか。この善後措置の打ち合わせ、
午後警備隊を訪問。別に引揚げざるものの如し。夕方、ハローに行き注射して
貰ふべく待てども帰らず。明日する事とし帰る。体の具合悪し。
7月27日 会社を休む。午後一時過ぎハロー病院に行く。今日は幸日都合よく、すぐ注射す。
誕生日ならん、一寸馳走して居た様子。夕方まで遊んでゐたかったが、三時半頃帰る。
7月28日 午前中出勤。午後注射し、しばし休む。マリヤ 米の件、話がよく解っていなく
心地悪し。別に話した解でもなけれど、三沢、西村両君 皆了解の上でやればいいのにと。
7月29日 午後ハローに行き注射。午睡。三時頃オヤツに果物出しぬ。明日は
日曜日とて遊びに行くなどと待つ様。所長の送別会、突然 ハニワイ行きの話ある。
明日日曜日だのにマリヤが淋しからん。
7月30日 日曜日もだいなし。折角の約束を無にし、五時起床、六時発。警備隊行き、
八時頃出発、十時半ハニワイ着。市内殆ど農民、家なし、廃居、公園の如き草ばかり。
この付近、出かける事も出来ず、治安悪しとの事。
7月31日 一x粗品の野戦料理もすまし、午後一時半頃ハニワイ出発、四時半イロイロ着。散髪。
マリヤ隣の村上茶店に入りしを見、明日行く旨知らす。
8月 1日 午前九時、マリヤの内に行き注射す。共に中食を済まし午睡。三時迄果物を
オヤツに友達の内に遊び行かんとさそひしも注射残りあるとて止めぬ。
中々帰って来ず。六時過ぎ、帰る途中にて会ふ。
8月 2日 十一時過ぎ、ハローの向側の水田の状況視察。途中、自動車動かず、とうとう三時迄。
漸く、迎え来る、四時過ぎ帰る。
8月 3日 下記の契約に関し、駐在所に書類を出す。
8月 4日 午前八時発、汽車にてバウイヤ出張。九時半着。午後駐在所に行き、
長久君に契約の事。。。。。夕食後、相変わらず馬鹿話。
8月 5日 十時過ぎ発。十一時頃ハローに着。娘の内に行く。料理の講習会が
あるとか従兄等来宅。みんなして中食。一時過ぎ、車が出るのでそれに
乗って牧野君と一所に帰る。転出するとか。大八木君より来信。
8月 6日 日曜日 午前八時、途中病院に入院せし弓削、青谷、川越君を見た。
西沢君またデング熱にて休んでゐる由見舞。十時過ぎマリヤの内にて中食。
伝法君転出、送別会、豚の丸焼き、中々の馳走。六時帰舎。
8月 7日 吉村君よりマリや宛の籾の件に付き来信。三沢君に一応話をなす。
8月 8日 家内より来信。五月三十一日附。皆げんきの由。五月送金到着セ氏旨通知あり。
8月 9日 六月附の家内よりの手紙来信。相変 配給物資の運搬に困って居る様子。
智枝ちゃんが歩くため。畠君、明日内地へ出発の予定とか。
8月11日 午前八時、カバツアン息の自動車に便乗。町まで行けず、雨の為。
引き返し遊ぶ。夜、指導員を呼び、バウイオリンを聞きぬ。
8月13日 日曜日 洗濯物をトランクに入れ、娘の所に行き頼む。出来るだけ
早く洗濯する様。 マージャンを少し習ひ遊ぶ。記憶力のなくなっ
たのに驚く程。マリやは中々鋭敏。所長の送別マージャン六名。
8月14日 午前出勤。午後 腰痛む。寝む。夜、囲碁楽しく遊ぶ。
8月19日 手当て貰えど、なにかと差し引きもの多く、小使なし。手持つきたる形。
内地三百円送金す。ここ二、三月、内地も相当小使いるものならん。
秀之入営すれば、少しは内の方にも廻るだらう。
8月20日 午前八時、島所長 帰任の途、バウロット向け出発。十時過ぎ、ハローに行き、
中食を済まし午睡。マージャンをやる。解せねど成績良く勝った。
六時過ぎ、母子と一所に帰る、いつも面白く遊べる。
8月22日 午前十時、自動車にてパビヤに出張。前年成績優良なるものの表彰。
同所に宿泊する事にし、しばし町内のうっぷんをはらし呑気に。
田舎は本に馳走ある。健康体にならん。
8月23日 永井君、体の健康勝れず、一応診察して貰う様。午前十一時過ぎ自動車来て
サンベラに出張。木柿君、少し出したとか、今は元気の様子。同所宿泊。
三沢君とxx遊び、木柿君と一石。
8月24日 午前九時過ぎ、三沢君同道。十時過ぎハロー着。マリヤの内に立寄る。
田舎より鶏をxx預ける。十二時過ぎ帰る。トキリにて中食、市場を廻り帰る。
カビス櫛原君帰る、病後にて非常にやつれてゐる。
8月25日 また移転せなくてはならぬとか、まるで渡り鳥よりひどし、もう転宅に
こりこりして居る。官吏生活当時の転勤それよりましなれど、落ち着くまでxx。
原田技師来訪。夜、ときわにて すきやき。午后二時よりパウイヤ,
サンバラ駐在所出張。各駐在所昨年より明らかに治安悪し。本年の播種が実に心配。
8月27日 八時過ぎ、原田、藤原君出発せらるるを見送る。心のうさの慰めに、ハローに
遊びに中食頃までマージャンなれど、あまり手につかず。昼食を済まし三時頃まで昼寝、
よく休めて心地よし。娘の手製の菓子の馳走になる。六時過ぎ、母子三人にて帰る。
8月28日 バウイヤ駐在所より昨夜、敵匪の襲撃あった旨通知あり。
8月29日 午前八時、汽車にてバウイヤ出張。十時着。前夜の状況等聞き、中食後一休み。
午後八時過ぎ、寝に就く、十時頃、銃声聞こえぬ
8月30日 十一時過ぎの汽車にて帰る途中、ハローに立ち寄り、コーヒーを飲み、
おばの内に立寄る。二時過ぎまで午睡。三時頃おやつに菓子等食べ物。
吉村君の電子送金方依頼あり。
8月31日 中食は各宿舎に於いてする事となった由。途中立寄り、例の値段等聞き、
その内持参する事とせり。注文の靴、漸く出来上がる。
9月 1日 手持ちの洋服譲る事にしxxx。明日、サンバラに自動車出発する予定。
三沢君、配給米の件に対し、西沢君に話しせし由。
9月 2日 本日、軍隊と一所にサンバラ行く予定の変更。単独にてカバツアンまで
足をのばし、無事引き返しサンバラにて中食、三時過ぎ,帰場。
一寸体疲労せしを以って休む。
9月 3日 菓子の手土産を持って遊びに行き、いつ行っても自分の内の様に気軽になる。
内地に比べ、贅沢をしてご馳走あり。叔母さん手製の菓おやつに。
送金 五〇〇円 千代子
9月 4日 上野君に依頼せしトランクの鍵出来上がる。こんな事なれば、初め頼めば、
あとのまつり。帰途、母子に会ふ。菓子を買ひに行くと、ほんの一包みが五円。
高くなったもの。明日、ハニワイ行き決定。x 六〇円で処分す。これもほんの小使。
9月 5日 サンミゲルに引揚げの通知出す。
9月 6日 サンバラの警備隊の移動、車にて途中、パビヤに立寄る、ハニワイ福島中尉来訪、中食。
午後、サンバラに行き警備隊斉藤少佐を尋ね、夕、会食の馳走。サンバラ宿泊。
9月 7日 第一中隊、早速、付近の状況視察。汽車にてバウイヤに引返し付近の搗種状況視察、
既に発芽せものあり。同所宿泊。
9月 8日 午前十一時過ぎ、漸くカロをみつけ、バナナ、筍、野菜等積む。途中、娘の内に立寄る。
土産。日曜日に馳走する様。かやをつくる様にし、四時過ぎ帰る。
9月11日 十一時過ぎ入院。電話かけ、入院方つたへる様依頼す。
9月12日 胆石病あなく、胃腸を害して居るとの事にて、一寸安心したもののこれにて入院は心苦しい。
然し、病気なれば致し方なし。出来うる限り早く退院する事。弓削、木柿、櫛原君来る。
タバオ、セブ等、敵機数百機来襲、被害甚大なる由。来るべきもの あまり早き、
案ぜらる。胃の洗浄、初めての事とて一寸困った。
9月13日 今日も又引越しならん。実に月に一度位か。いつ落ち付く事やら。
水曜 十四時四十分、飛行機。少し音が軽い様になあと思ひ、よく見れば敵機。
とうとう来やがった。爆弾数発落せしものの如く、音やまぬ。窓のすぐ前に
数発のxx鏡弾落下。ユウユウとして帰る。実に癪に障る。
9月14日 午前七時半、洗顔し朝食を済まし、一寸休む。警報発せらる。
木曜 敵機十一機見るも、多分櫛原君の話では四十五機位は数えたとか。
ず、場合に依っては退院する旨話せしも、二、三日待つ様。
9月15日 今日とても、皆落ち付かず。午後四時過ぎ洗浄しぬ。
金曜 尋ねて呉れると思へども、この様子ではとても出て来そうにもなし。
一寸、淋しさを感ず。
9月16日 十時過ぎ、永井君尋ね来る。ハロー、イロイロ等から田舎へ疎開刷
土曜 る者、相当多きとの事。今日も尋ねては来ぬ。矢張り、場合に依って
はまさかと思へど。
9月17日 無事、ここ三日敵機来たらず。少しは住民も落ち付くならん。
日曜 もう来ぬものと忘れて居たころ、五時過ぎ、母子づれで尋ねて来た。
こごとを云ってやらうと思へど、顔みればそうは行かず。母は心配げに
帰りを急ぐ。漸く出てきたから、荷物は一所にしまったとか、鍵を渡す。
9月18日 病院に居てもあまり落ち付かず。兎に角退院する事にして、一時過
月曜 ぎ宿舎に帰る。何かと落ち付かず。なにかと造言が飛ぶ。
物価の如きも天井知らず騰ってゐる。
9月21日 警備隊に行き、サンミゲル、ハニワイ等の連絡をあるか否やを尋ね
木曜 帰る。誰もかも、互いに持ち物を売り払ひつつあり。
実の相場も何もかもあった解ではなし。
9月22日 一時過ぎ、内地にて買い求めしゆかた二枚手放しぬ。こちらでは着
金曜 る事なし。内地は切符制で、二枚だけは持って帰る事にする。
9月24日 日曜 又敵襲。二十七機余り。思う存分に爆撃し、一時間二十分余。
せめて友軍機が出てやっつけて呉れれば。一機でもxxx。
9月26日 十一時前、敵襲とか、友軍機ゆうゆう、神経過敏。十二時半、ハニワイ着。
住民殆ど離散。二日前地雷の事故あり。
9月27日 木柿君来る。駐在警備隊より通訳として割り当ての方、申し出ありたる由。
午後四時より渡辺参謀より防空戦闘に対し対空壕の設置に就き口xあり。
時局下、愈々緊迫せるものあり。万一に備える覚悟を新たにせらるべき事を痛感する。千代子
9月28日 手紙等の整理をし、持ち物の品を整理し売却。
9月29日 永井、水野、田代 入営近きため壮行の意味に於いて会食しぬ。
9月30日 十時過ぎ、サンバラ警備隊より倉庫、敵匪の被害の通知。十一時過ぎ、弓削、
川辺同道行く。兎に角、盗んで呉れんばかりの仕業。小寺、浜中君等行って
居る筈なのに。被害状況、籾 十八、砂糖 十三。斉藤部隊長に挨拶して礼を云ひ、
整理す。五時頃帰る。夜、海岸の宿舎にて壮行会。永井、小田、本崎君かビス出発
10月 1日 敵の空襲以来、カンサー不便になりパスまで徒歩。車にて十時半着。中食後、
三時まで警備隊に出かける。五時過ぎ風呂に入る、久しぶりに木槽。降雨。
10月 2日、月曜 サンバラ警備隊と憲兵隊に一人づつ通訳に取られる由。仕事もこれでは
出来ぬものと思ふ。時局柄、痛しかゆしの点。降雨。
10月 4日 水曜、内地で作った官吏服、四〇〇円とはよく売れたもの。今少しすべきものあり。
ぼつぼつ機を見て。降雨。
10月 5日、木曜 確かに最近はなんとなく だれて来た様に見受けらる。事務所に出ても仕事に
手をつけられざる点もあるだらう。マニラ連絡所宛の書類を書き出す。空襲の備えに対し、
日本人会よりのっ注意あり。バビヤ付近付近にも地雷の旨。降雨。
10月 6日、金曜 いつまで雨が続くやら。今日もまた雨風。これにては空襲もあるまい。
地主、小作人の分配率に対し打ち合わせ決定。其の旨、関係者方面に通知す。
散髪、相変わらず高くなったのもので拾円。一寸驚く。然し、最近の物価よりxせば、
なんの事もなし。
10月 7日 土曜 よく降るもむの。降雨。
10月 8日 日曜 永井君の壮行会、九日に入営。秀之、母一人で何かと心配した事だらう。
一生一度に父なき為淋しか津多だらう。降雨。
10月 9日、月曜 昨夜何か当たったものならん、下痢で体の具合何となくきつし。。。。。
比島の気候は自分の体に合わぬかも知らぬ。最近特に其の間あり。
10月12日 木曜 天候良くなったかと思へば又雨。十時四十分、空襲警報。
戦況愈々過酷となり、最悪の場合は努め事はマニラに引揚げ、警
10月13日、金曜 サンバラにて警備隊、農民の離散を防止する意味に於いて慰安会のごときもの
を開催。
三、四百人集まった。中々賑やかなもの。今少し、子供の踊り子が四、五人もあれば。
小寺は酒に呑まれる感あり。 電送五〇〇円。
10月15日、日曜 鶏の丸焼きにて、とてもおいしく、いつも馳走して呉れるので内に帰った心地。
この日の卵でカステーラを作ったとか上出来。吉井君より煙草十個貰ひ、六時過ぎ帰る。
飛行便 千代子
10月16日、月曜 戸塚部隊より「キンバル」柿播種希望あり、種子分譲申し出あり準備す。
快なる吉報。レイテ湾東海の敵機動部隊の内、空母一、戦艦二、巡四、未X十二、
更に空母二、巡艦二、死傷一万五千、なお拡大中の旨発表せらる。千代子宛 送金の旨 電報。
10月17日、火曜 勤労奉仕、仕事に取掛かる¥らんとせし時、空襲警報。皆、対空戦闘に就く。
二機カバツアン方面に向け飛去る。作業に従事。二時より又雨となる、夜に入り嵐までも催す。
新たに敵の機動部隊出動せる由。午後雨。
10月18日、水曜 天気になったかと思へば、今日も又雨。八時過ぎ、空襲警報、
この雨風の嵐によく飛ぶもの。
10月19日、木曜 領事館に連絡として行く。八時二十五分、空襲警報発令。またか。
十五時、敵の編隊三十四機、港湾、ギマーラス方面ならん、機銃掃射の音、
爆音等聞く。一同、防空壕にて。五時過ぎ、四機飛び去りぬ。
10月20日、金曜 八時十分、空襲警報。九時過ぎ出勤。青谷、三沢君来る。
水害のため播種せし綿園浸水、埋没相当多し。マニラ連絡所宛報告。
午後、落ち付かず。四時過ぎ帰宅。レーテ島に敵じょうりくしたとか、その真相はXXX。
10月21日、土曜 午前八時二十分、空襲警報発令、しばし後、敵機十八機来襲。
カバツアン飛行場を空爆したるものの如く黒煙上がる。防空壕の補修。
午後出勤せしも、これはとて仕事なく四時過ぎ山崎君と帰舎しぬ。
10月22日、日曜日、いつも八時過ぎ空襲あるを以って、八時半頃出掛ける。
中々車見当たらず。写真屋の付近にて一輪車に乗りて行く。
大内君らはイロイロに出掛けるとか。日曜日とて吉井君ら二人にマージンを。
いつも馳走、中々贅沢なもの。洗濯屋に二十円としてやる。五時過ぎ閉幕、
自動車にて送って貰ふ。
10月23日、月曜 靖国神社の大祭なれど、時局柄、只心の内にて祈る。
10月24日、火曜 全く心地のよきときは一つとしてなし。人は気侭に自己本位にして
暮した方がいいかも知らん。兎も角、こんな生活から早く退ぞく事。
10月25日、水曜 防空壕の設備、作るなら初めから再製せざる様、しっかりしたものを
作ればいい。お互比、自分がなるかも。自慢ばかりの人、人もこうとなっては
実にあさましいもので、世の中はこんなもの。
10月26日、木曜 レテー沖にて戦果相当挙がった様子。
戦果発表 空母 四、巡 二、駆逐 一、輸送 四。
台湾沖以来の綜合戦果
撃沈 空母十六、戦艦二、巡洋五、駆逐一、水三。計二十七隻
撃破 空母十二、戦艦六、巡六、一、十三 計四十一隻
合計 六十八隻
別に仕事ななし。防空壕の補修等。
10月27日、金曜 ハニワイ引揚げ
来襲以来、各地区にて敵匪の行動活発となり、農民の離農するもの多し。
ハニワイ警備隊の撤収により、二十七日を以って引揚げる事になり、
七時発、途中四キロ程徒歩にて七時頃着。一宿する事になり、蚊の為、
熟睡出来ず。十二時頃カバツアン、午後七時頃敵襲あり。
10月28日、土曜 生まれて初めて荷物をかつぎ、まるでルンペンの引越しの
如く四キロ余の道を比島まで来て、内地でやった事のない、これも
日紡と云うか日紡様々か、ここまで落ちぶれては。無事、ハニワイ、
カバツアン引揚げ出来て非常に心地よし。活動見物に出掛ける。然し、
今晩〇〇をやった行為に就ては時期を見て一言せざるべからず。
勝手な行動ばかり。
10月29日、日曜 在郷軍人の訓練とか三十分、中途にて00よりの緊急事項にて、
労働不能にて堪えざるもの除き勤労奉仕。叔母の処にて中食後、
注射し二時間余り寝む。しばし遊ぶ。五時過ぎ帰る。夜に入り素人ばかりのマージン。
10月30日、月曜 バウヤ青谷君買い求めし「トバ」を喰いばみ三時間余りで手足しびれ、
冷かになったとか。弓削、藤田君、バウヤの応援に。ニュース等聞く。
神風特別攻撃隊の攻撃めざまし。
10月31日、火曜 「ハニワイ」「カバツアン」駐在諸関係引揚げに就いて関係方面に夫々報告書提出。
午後、気象関係調査の為、気象隊に行き夫々調査依頼し、五時帰場。午前四時半頃、
敵匪の放火五ヶ所。銃声聞く。今後、治安 事に悪くなるものと思れる。注意し行動する事。
11月 1日、水曜 月末事業報告の浄書。五時より在郷軍人の練習。バウイヤに応援に行く予定の処、
治安関係上出来ず。七時三十分、台銀前に集合、00移動の勤労奉仕。一時 雨。朧月の為、
心地よし。この月を 矢張り内地の留守宅よりも眺めるも、肌寒からん。
11月 2日、木曜 午前中休む事にして、ハロー医者に行き注射。午後二時より訓練。
体の具合あちこちいたし。今夜も。勤労奉仕とか。レイ
11月 3日、金曜 明治節。内地では今は菊の盛りならん。今日も引き続き注射。体の具合極めてわるし。
11月 4日、土曜 十時四十分頃空襲警報、敵機二十数機空襲なく只通過しぬ。十二時過ぎ友軍気ならん、
十一機バコルト方面に向け飛び行く。二時過ぎより訓練。二十数年、銃を持った事がないので
何にも解らず、体とて自由にならず一寸困る。今後二週間とか。少しは体も動く様になるもの
と思れる。
11月 5日、日曜 午前八時半より十二時頃まで例の訓練。丁度自動車が迎えに来て呉れたので、
そこそこにして行く。叔母の処にて中食し、土井君等と四時半頃まで遊ぶ。自動車に
て送って貰ふ。過日頼んであった腹巻き出来上る。
11月 6日、月曜 敵襲二十四機。別に空爆なくバマロット方面にて爆音聞こゆ。三沢君来る。
駐在所引揚げ云々に関し打ち合わせ。当分駐在する事に決定し四時半頃同行。途中に
撃たれるも異常なしに無事に帰場。危険な所には今後出ぬのが勝。
11月 7日、火曜 午前十時過ぎ、友軍機十七機上空を二回旋回しつつ東南方向に飛行し行く。
事務所に居れど、中々落ち付けず、仕事とて殆ど中止の状況。午後訓練。
11月 8日、水曜 今日も又友軍機十九機、彼方にも二十数機見ゆ。レテー島攻撃に積極的に
出るのであらう。然し友軍機の飛来はいと心地よし。 事業部の報告事項大体終了、
午後訓練見学。二十六日以降六日迄のレテー島綜合戦果発表。撃沈と撃破
空母 三、八 戦艦 一 十 巡 九 八 巡又駆 十 O
駆逐 五、六 不詳 六、O 舟艇十七 二 油舟 一 -
飛行機 二、二百 戦車 十二 輸送五十四 人員四千五百
過日入営せし永井君等猛訓練。秀之もさぞかし。
11月 9日、木曜 十八年度の柿作状況浄書はじめ。将来の比島の柿作に期待し難く、
私見として只日本国に充当する程度にした面積の柿作栽培は可能と思うと答申。
午後、訓練。まだ傷直らず、今日も見学。
11月10日、金曜 七時半頃、病院より青谷君危篤の報せ、早速かけつける。
医者すでに注射やら手当て。八時半頃より昏睡状態に入る。危険
なる旨、二十四時間以内に意識回復せざれば見込みなしとか。二十時三十分、
息を引き取る。殆ど、その侭。人も実にあんな元気な男が、まるで夢の様。
11月11日、土曜 十一時半過ぎ、病院より宿舎に移す.今夜は宿舎に於いて通夜をし、
明日火葬する事に決める。比島のほんの孤島で万一の事でもあれば情けない。
内地に帰還する事が一番。
11月12日、日曜
八時頃、宿舎を出発、陸軍病院の火葬場に於いて荼毘に付す。あの元気な体で何 としても死なない程の丈夫であったものを、寿命ならん。只君の冥福を祈るの美。
11月13日、月曜
午前八時宿舎を出発し、青谷君の骨上げ、九時三十分事務所に帰る。又仕事の異 動、水呑み百姓でも自禁するのよう。自らの信念にのっとり働く事が出来るだろう。人に使われてはばかばかしく、やる気にならず、馬鹿になる事じまい。
11月14日、火曜
事務所に行き、引き継ぐべき書類を整理しぬ。送金すべく銀行に行く。二、三日して送金して呉れとの事。体の具合順調ならず。叔母の内にて注射し、約三時間休む。熟睡しかねる。当分は抵抗力なく、死ぬるのかしらん。午後、訓練の見学。夜は早く床に就く。中金を使わさず、まっているといふ子供の手紙心かなし。自分の家に帰った様な気持。
11月15日、水曜
例のごとく、仕事をするも身に就かず、体の具合もなんとなくだるし。訓練でも済まば保養し回復し、すこしは今諸事情あしれば、保養などしてゆっくり休めず。今少し状況よければ叔母の処にて出来るものを。
11月16日、木曜
風呂に入ったので少しは体の具合よくなった様な気持。温泉にでも行き、ゆっくり保養を出来ればと思ふ。故青谷君の初七日。は一命。謹んで冥福を祈る。敵機十一機イロイラ市通過。
11月17日、金曜
第一期在郷の訓練終了せるを以って、本日は実弾射撃を。内地より六月以降便りなしが、当地よりも便般なく近況を知らす訳には行かず、心配している事だろう。
11月18日、土曜 内地送金 五〇〇円
第四、四半期の借入金の準備をぼつぼつ。内地へ五〇〇円電送。電送の旨通知。上の通知にて、元気で居る事と思ふならん。時局緊迫してゐる折柄、在郷軍人は応召されう様な噂。三ヵ年満期には帰国したいと思ふけれど、如何なる事かやら。
11月19日、日曜
朝八時頃、一寸XX,九時過ぎ土産に貸し等買い求め、叔母吉井を問う。十二時 近くまで遊ぶ。昼食後一寸続けて三四勝、注射二本三十分程寝む。二、三回やれど就かず、五時過ぎ帰途。XXXXXXXX いつ遊びに行っても、内の様で気がゆっくりおちつく。
11月20日、月曜
最近レテー島沖の戦況ちっとも入らず。一寸気にかかる。その内、いいニュースでもはいれば。 明日、宿舎の移転とか。今晩は合宿閉散の意味に於いて、すきやき会。相変わらず若いものは羨ましい程、食欲あり。入営中の長男もさぞかしと。
11月21日、火曜
朝よりぼつぼつ小雨、一寸の降り止みを見、移転。五回目。雀の宿替えと言ふか、移転するのが仕事の様なれど暇の時だから結構。
サンバラ一行三人帰国。楽しみなく、徒歩にて引揚げる由。全く気の毒。あれの話から二週間もたたぬ内に。
11月22日、水曜
十一時三十分頃、敵機二十四機来襲通過、しばしなれば土民も馴れたもので、然し、目、耳たしか、原始的人民なれば早いもの。
夜に入り、素人ばかりのマージャン、おれも覚えれば面白かもしらぬ。まだ幼稚園なれば。
11月23日、木曜
事業状況の報告、浄書。昼過ぎ、大内氏と会いコーヒーでもと一所に行き話しつつ、砂糖を買う願いをして直接叔母の内に届け置くよう依頼す。山崎君来る。夜、マージャンをやる。然し、時間長き為、一寸あきる。
11月24日、金曜
十一時過ぎ、敵機四十一機、上空を通過、レテー沖の空中戦さぞかし激烈ならん。
事業進x状況本日大体終了。ぼつぼつ他の事務の整理。
11月25日、土曜
午前事務の整理などに時間をつぶし。午後、庭の除草、まるでユーレー屋敷の様なれば、一寸人が来ても驚くならん。
11月26日、日曜
朝食を持ち出し、叔母の内へ遊ぶ。家族総動員での御馳走の準備で忙しく、まるで里方に帰った様な気持。友軍機四機通過、又敵機二十機パゴット機来る。午後遊び勝負事はどうも苦手、でも、気持ちよく遊べるのが楽しみ。内地よりなんの便りもなし。これも xる杓。
11月27日、月曜
十一時過ぎ、敵機二十一機通過、四機イルイル空襲し東の方に去る。あまり低い空なので一寸驚いた。九月中の事業報告後、十月分に着手。兎も角、今までほんとに報告もして出し、毎日机にしがみついて居ったのに。
11月28日、火曜
十一時過ぎ、毎日ほとんどの様にみる敵機通過、いつ、心ゆくまで仕事、遊ぶ事が出来るやら、出征兵士の事思えば、国の為とは居へ気の毒。午後二時より第二次訓練。体のいたいのには閉口。
11月29日、水曜
今日は忘れられたのか敵機が来ず、ぼつぼつ事務の方も片付いて行く。午後二時より訓練。夕食後、田代を問う。久方ぶりで蓄音機の内地の音楽。耳の洗濯。なんとなく、異郷にある淋しさを感ずる。其の内に帰れる事があらふ。
11月30日、木曜
比島の革命記念日とか聞く。幸ひ、キゴラス小田君来訪。素人組マージャン、中々勝負ごとは苦しさの一心、午後訓練、夜引き続き。十二時過ぎ、敵機頭上を飛び去る。早速。防空壕に飛び込む。レテー沖の戦果挙がりたる発表。
12月1日、金曜 雨
光陰矢の如しとか、十一月も過ぎ、はや十二月。午前中、予算編成。あまり、あてのないもので、そしてあまりに雑費が入るので、一寸基礎すらあやし。
敵機五機通過。夜、蓄音機を聞き、おはぎの馳走、一寸珍し。
12月2日、土曜
予算編成、大分出来上がる。久方振りの雨。乾燥して水の欲しい時でもあり、いい雨。訓練中止。夜に入りマージャン、十時半頃まで。
カピス橋村君、負傷したとか。ほんとに気の毒。匪賊が出るので危険。
12月3日、日曜
日曜日、これは家族一同何か楽しみに遊ぶべきを、叔母の内に遊びに行き吉井君とマージャン。いつ行ってもご飯がおいしいので腹一ぱいに戴けるのが楽しみ。午後大内君としばし話し、午後は少しこつがつき、面白い程。夕立、自動車にて送って貰ふ。
12月4日、月曜
十一時過ぎ。吉井君来訪。コーヒー等しばし飲み話し、土産にもちを買い求めて帰りぬ。内地では百円も出せば、うんとこさ菓子が買えるのに、僅か二十個一寸程だ。午後訓練。体が具合悪し。少しは馴れるものと思へど。
12月5日、火曜
一寸書類の整理も就き、十八年度の事業経過でも書かう。体の具合痛み、訓練も休む。重くならない内に、早く帰国する事も肝要ならん。銀行の送金手続き方、依頼。
12月6日 水曜 内地 五〇〇円送金
午前書類の整理。今晩夜警してか、午後寝ずめで暑苦しくて中々寝付かれぬ。吉村君より荷物の整理方依頼し来る。近じか応召する由。夜 蒸し、中々 蚊の為、ちょっとも寝られぬ。
12月7日、木曜
宿明け洗濯ものなどたのむべく、途中石井君の車に同乗。注射し、午前中寝む。午後麻雀。今日は一寸手悪し。いつもご馳走して呉れるので気の毒。でも只一の楽しみ。五時過ぎ、自動車にて大内君に送って貰ふ。
12月8日、金曜
大詔奉戴は小学校に於いて式あり。 小雨あり。
午後四十分頃 敵二十数機来空、爆弾投下し去る。午後二時過ぎ、飛行場の勤労奉仕、爆弾あとの埋没、想像にあまる程大きい穴。
12月9日、土曜
午前四時五十分起床し、勤労奉仕で殆ど終始濡れねずみの様。十時帰場。体をあたため床に入り休む。午後、交代。夜 マージャン。楽しからず、結局負け。
12月10日、日曜
午前五時起床。勤労奉仕。十時半頃、自動車にて叔母の内に。大内君よりセルロイドを貰い、時計の内側の調整しぬ。相変わらず、今日も引き続き遊べど手に就かず。でも、一日の楽しみなれば。
12月11日、月曜
午前、予算の打合せ。十一時過ぎ、敵機來襲中に飛んで帰る。家内宛打電、送金案内と共に無事なる事を通知。大内君とコーヒー呑む。夜に兵隊とマージャン。
12月12日、火曜
勤労奉仕。昼食後、伊香君よりネグロスの事業進行状況の話あり。午後、予算の浄書に取掛る。
12月13日、水曜
奉仕を中止し、予算の浄書。数字だけの浄書は今日終りぬ。後日、概況報告をかかん。
12月14日、木曜
午前、だ会いたい概況浄書すむ。 正午、中食後 敵機動部隊ネグロス市東端に来進みつつある由。今夜あたり、最も警戒を要するとか。万一に備へ各個人は荷物の整理。午後、夜間は一部勤労奉仕。宿舎にて待機。
12月15日、金曜
愈々、来るべきもの来た様な感じ。自分自身の腹は出来てゐるけれど、残して置いた妻子の事が気に掛る。家族等も地図を見て心配し、覚悟はしてゐるものと想像やする。
12月16日、土曜
昨夜は無事。素人考えへかも知らんけれども、ビヤー地区に上陸すれば、空海共に敵の思ふ儘になる。今後は然しなにもかもつまらぬ。荷物の一部はマリヤの内に。愈々あれば置土産。
12月17日、日曜
午前中はなにかと荷物の整理。出来るだけ身軽に。午後吉井、大内君を問ひしも留守。マリヤの内に一寸立寄。土産ものを頼み帰る。水村(松村)君、ネグロスに向け出発。
12月18日、月曜
仕事の方も一寸一段落。体の具合悪き為、帰国するとは申し出せしも、ここ暫く状況を見て呉れとの事。然し決して戦況は今の処、悪くはなれど良くはないと思ふ。今の内、帰った方がいい様に思ふのに。
12月19日、火曜
川越、杉浦両君、マニラに向け出発。本人等も途中は危険かも知れん、然しマニラに出れば兎も角安心であろう。引揚げたいと思へど、なんのため比島に来たやら。
12月20日、
ギマラス小田君来る。帰国に関し話したき旨、一気に話す。お互いに命までXXってゐないもの。夜マージャン。九時頃敵機とか通過し、灯りをつけてゐたので注意さる。もう、マージャンも止めか。
12月21日、
山崎君来る。荷物の整理。こんな時世にならうとは夢にも思わなかったのに。運は天に任すとは云え、人間として矢張り一度故郷へ帰り度い。
12月22日、
小田君帰る。隣の室にてマージャン。やかましくてねむられもせず。明朝早いのにと思へば、殊更耳につき寝れず。
12月23日、
午前七時、在郷軍人の分隊編成。事務の整理をなし、午後休む。夜は只一人、夫々、夜勤の為め。何の楽しみもなし。只時期を待つ様な望みあるのみ。
12月24日、
ぼつぼつ襲撃がある様との事とて、少しは心配して居ると思ったけれど、やっと落付いて仕事など。 まーじゃんを遊んで相変わらず取られてばかり。此の頃は、欲も得もなく、無事帰国出来る事を祈るのみ。
12月 25日、
大正天皇祭日にて休む。只なんもなす事なく、寝ころび種々な事浮かび出され淋し。今少し近ければと遊びに出掛け気晴らしにイロイロに出て戻るとか云ってゐるけれども挨拶廻りの様で、夜は又早く床に就く。
12月 26日、
西沢君、態々帰国する様に話ついたとか。何も産業技術とか命捨てなくとも他に仕事は多くある。万事止むを得ざる場合は別として、兎に角紡績会社其のもののやりかたが実にいやだ。
12月 27日
仕事とて糞みたいに、昨年の概況等走り書きす。
邦人の引揚等に関し警備隊に出掛けたとか。今更少し遅れてはいないか知らん。
12月 28日 以後の日記 記入なし
日記の終わりの方の備考欄の余白に法句経の日本語訳の三句が
書かれています。法句経はお釈迦さまが「ウタ」の形式で
説法されたものです。
花びらや花の香を そこなわず
ただ、蜜味のみをたづさえて かの蜂のとび去るごとく
人の住む村々に かく牟尼尊(ひじり)は歩めかし
愛する者と相逢うことなかれ
愛せざる者とも 又しかるべし
愛する者を見ざるは苦、愛せざる者を見るも又苦。
勝つ者 怨みを招かん
他に敗れたる者 くるしみて臥す
されど、その何れをも棄て こころ寂静(しずか)なる人
起居(おきふし)ともに さひはひなり
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