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物語 - 一世関係 67 - 資 料 館 案 内 竹村義明 |
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資 料 館 案 内 竹村義明
Japanese American Issei Pioneer Museum この一世パイオニア資料館の所在地ハンスビル(Hansville)は、ピュゼットサウンド湾(Puget Sound)に突き出た半島にあるので、タコマまわりでドライブしても来られます。この場合はタコマから資料館まで約2時間かかります。しかし、シアトルやシアトル近辺からおいでの方は、フェリーを利用してシアトル(Seattle)からベンブリッジ(Bainbridge Island)に渡るか、又はエドモンズ(Edmonds)からキングストン(Kingston)に渡るかのいづれかをおすすめします。どちらも半時間ほどの乗船ですが、全長460フィート、乗客2500人、乗用車200台も収容可能なジャンボフェリーです。早朝より深夜まで毎日20便くらい運航しています。静かできれいなピュゼットサウンドを一跨ぎして下船して、ベンブリッジの埠頭からは40分、キングストン埠頭からは20分のドライブです。 1976年7月4日、アメリカ合衆国は、国を挙げて「建国200年 Bi Centennial」を祝いました。この一世パイオニア資料館は、このアメリカの「バイセンテニアル」を記念して1976年11月にカリフォルニア州サリナス仏教会で産声を挙げました。世界中からの移民により出来上がったアメリカで、ほかの国々にくらべると日系人移民の歴史は浅いけれども、今日のアメリカの繁栄に貢献した日系人の存在を少しでも伝えたいというのが開設の趣旨です。全米初の日系資料館というので、開館の際にはフォード大統領(米)、三木首相(日)、ブラウン知事(加州)からも祝辞をいただきました。しかし、1994年に体育館を建てるために資料館のあったホールの取り壊し、1995年シアトルへの転任、それからメキシコ赴任などがあり、ハンスビルでの開館は2005年になりました。 私が京都西本願寺海外布教使を拝命したのは1956年(昭和31年)12月でした。一世の中にはすでにかなりの老人もおられましたが、まだまだ壮者を凌ぐような男性も多く、特に女性はみなさんお元気でした。それ以来、カリフォルニア(サンタバーバラ、サクラメント、フレスノ、ファーラー,サリナス)、オレゴン(オンタリオ)、ワシントン(シアトル)諸州およびメキシコの仏教会で、それらの人達と深いご縁を結ばせていただき多くの楽しい思い出もありましたが、また同時に多くの野辺の送りにも立ち会いました。私の母はオーバン(シアトルの南)で1907年に生まれた二世、祖父母は初期移民の一世です。母方から云えば、私は三世になります。今や一世諸氏の姿はすでになく、後に続く二世諸氏も残り少ない今日です。この資料館には「一世」の名前がついていますが、二世はその子供ですので、二世に関する資料も沢山収蔵しています。二世は一世と変わらぬ苦難を味わいながらも、よくそれに耐えて、親の築いた基礎の上に綺麗な花を咲かせ、立派な実を実らせた人たちです。 アメリカ本土への日本人移民の歴史は、140年ほど前の1880年(明治13年)頃から始まりましたが、それは短いようで実は長い歳月でした。海外出稼ぎ労働移民から家庭を持ってアメリカに居留まる「出稼ぎから永住へ」の過程の中には、数知れぬ苦難と栄光ののスト-リーが生れました。祖国日本とアメリカから受けた恩恵に感謝する多くの物語もありました。私たちの基礎を築いてくれた一世のパイオニア精神と奮闘の歴史は、長く後世に伝えなければなりません。日系人がたどった歴史をもっと深く知りたい方や日米関係に興味のある方は、是非一度、ご来館ください。そして、展示品を実際に手にとって見ていただき、私たちの親たち、先駆者の心にも触れていただきたいと思います。 合 掌 竹 村 義 明 (残念ながらコロナウイルス問題のため、現今(November, 2020)は閉館していますから、 ホームページをご覧ください。)
一世パイオニア資料館
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一世パイオニア資料館 - isseipioneermuseum.com - 2020 |