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物語 - 一世関係 66 - 日本とアメリカ 賃金の差 河原良雄 |
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日本とアメリカ 賃金の差 河原良雄
河原良雄 1889(明治22年)11月25日 愛知県名古屋市で出生。 祖父は徳川幕府尾張藩の勘定奉行、父は失業武士になり資産を失う。 三人の兄はアメリカへ行き、それぞれ日本人店や新聞社等で働いていた。 1905(明治38年)16歳、兄を頼って渡米し、長兄の美術店で働く。 1907(明治40年)18歳、兄の許から独立し種々の職につく。 アメリカにとどまる決心をして、将来の学資稼ぎに仕事を探し始める。 1918 スタンフォード大学 1920ハーバード大学院卒、英語修学中の山本五十六海軍大尉と会う。 1922(大正11年)日本帰国。商店経営。 1975(昭和50年)死去 アメリカに居とどまる決心をして、兄の家を出て日本人の下宿屋に移った。そして、その日から毎日、日本人相手の職業紹介屋を回った。紹介屋には壁に黒板がかかっていて、色々な仕事の種類と賃金とが書いてあった。洋服屋の下働きとか、掃除夫とか、鉱夫とか、農園の臨時雇いとか、エレベーターボーイとか、いろいろあった。私は何も腕に職を持たないので、白人の家庭内の労働ぐらいしかできるものがなかった。 紹介屋の紹介状をもらって、山の手の白人の家に行くと、夫人が出てきて、「この部屋を掃除して、これを洗って、その庭の草を取ってくれ」と云うから、一生懸命かたはしからやった。昼休みの一時間を除いて八時間働いたら、「オーケー、もうやめて帰って結構。さあ、これが今日の賃金二ドル、そして一生懸命よく働いてくれたから特別に二十五セント。」と云ってお金をくれた。私がアメリカでもらった初めての賃金だった。うれしかった。二ドルのうち一ドルを一日の生活費とすると、一ドル二十五セント残る。そのうち七十五セントぐらい予備におくとすると、残り五十セントは貯金できる。結構な稼ぎだと思った。 これが日本なら、私みたいな若い者ができる家内労働の日雇いのような仕事がない。賃金だって比較にならないほど安い。れっきとした仕事口を持っている人でも、私ぐらいの年齢なら、よくても月給四、五円どまりである。これでは生活費にだってぎりぎりで、とても貯金などできるどころではない。それがアメリカでは一日に楽に五十セントの貯金ができるのだから、夢のような話である。当時の為替相場で、一ドルは二円六銭ぐらいだから一日働くと、まるまる一円の貯金ができる計算である。月に二十五日働いたとすると、月に二十五円貯金ができるわけである。これをみても、当時いかに日本人がアメリカに来たかったかが理解できる。
カリフォルニア州を中心に燃え上がった排日運動は、ついに州当局と連邦背府を動かして、「日米紳士協定」という日本人移民制限法を成立させた。1907寝(明治40年)のことである。この結果、日本からの移民は事実上ストップされてて、渡航を許されるのは、現在アメリカに住んでいる日本人移民の妻と子供、および旅行者、外交官、宗教家、学生ぐらいになってしまった。これによって、さしも盛んだった排日さわぎは一時おさまった。 新しい移民が来なくなった結果、在留日本人の賃金が上がり、一介の農園労働者だった者が金を貯めて借地農業家へ、さらに土地所有者へと「出世」する例も出てきた。 しかし、ここで新たに起きた悩みは、独身男性の結婚問題だった。 (ここでは述べないが、その後日本人農家がカリフォルニアの農業の主導権を握るほどの成長を遂げるようになると、日本人排斥問題は以前に増して強まり、これは太平洋戦争まで続いた。) もともとアメリカへ来た者は出稼ぎ目的の人が多かったから、多くが妻子を故郷に置いた単身者か或いは独身者だった。何年か鉱山や鉄道や農園で働いて貯金ができて、生活も落ち着き、言葉もひととおり話せるようになる頃、故郷へ錦を飾る者もいるが、郷里から妻子を呼び寄せる者も出てくる。独身者の場合は、白人女性との結婚はまず不可能だから、故郷から妻を見つけて連れてきたいのだが、往復の旅費や手土産も大変な額になるし、仕事を長い間休むことはしたくない。そこで、いつしか流行するようになったのが写真結婚だった。 男性は自分の写真と履歴書を日本の両親や親戚に送り、アメリカに来てくれる女性を探してもらうのである。女性が見つかり縁談がまとまっても、新しい移民の渡航は禁止されているから、花嫁は花婿の親の家で自分一人だけで結婚の祝いをして、夫の戸籍に入って妻として海を渡った。こうして、多くの一世は幸せな家庭生活と子沢山に恵まれ、アメリカ永住への 気持ちを募らせた。しかし中には、波止場で写真を頼りに夫と会ってみると、写真や手紙で描いていたイメージと違っていた例もかなりあったようだ。 「河原良雄自伝」(昭和54年刊)より抜粋
一世パイオニア資料館
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