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物語 - 一世関係 60 - 忘られぬ感激 有田 百 |
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忘られぬ感激 有田 百
野外劇場のステージの中央正面には、仏壇を安置し、日系米国軍人戦死者の写真は黒い喪章をつけて其の前においてある。仏壇の左右には造花で作った見事な米国国旗が飾ってあり、多数の花環は体裁よく配列してあった。つつましくステージに在る人物は、戦死者の遺族と親戚を初め、転住所々長ミルス氏、仏教僧侶、牧師、在住民代表者達が参列している。陸軍側からは儀仗兵十一名が 指揮官の大尉に引率されて、ずらりと花道に整列してゐる。一般の参加者は広い広場の約半数に達してゐた。 午後七時の開会時分には、ステージの中央真上に半月が懸かってゐて、荘重な式壇の光景と荒漠たる砂漠の夜色を一段と神秘的にさへ感ぜしめるのであった。 司会者の日本人が、マイクロホンの目に立って「、、、大和民族の血を享けた我が忠勇なる日系米兵が、祖国米国のために一命を捧げ、、、、」と日本語で喋り始めた。 「畜生! 己れ、、、、」と握り拳を固めた一団があった。 「戦死者には、国籍の如何を問わず敬意を表すべきが礼儀じゃ」 「礼儀も糞もあるか! 志願兵、、、、忌々しい、、、」 読経が始まった。鐘がカーンと鳴った。 「明後日はアリゾナのフィニックスで裁判開廷じゃ。人権を主張援護する 民主国の青年なるが故に、先ず其の日系市民権の定義が明らかならざる 限りは、米国徴兵令に応ずる訳にはいかぬ、、、、」 と鋭い語気で語っている一団があった。それは徴兵忌避に問われている青年達であった。「見るのも馬鹿々々しいや、、、帰ろう、、、」と眉を吊り上げて出て行った。 「あの児も可哀相に,、、とうとう戦死したのかね。アレ等のおかげで日 本人は、米国人に其の忠誠を認められたのだ。我等の犠牲者だ、、、 嗚呼、、、」 と感謝し弔意を心から表してゐる一団があった。それは相当年輩の人達であった。また、別の一団の青年達は、一週間後にこのステージで兵営へ送りこまれるべき式が我等のためにあると言ってゐた。晴れやかそうな者もいた。暗い面持ちの者も見受けられた。 二時間に亘る式の最後に、弔砲が鳴り響いた。 コロラド河を越えて峩々と聳えてゐるカリフォニヤの岩山に、月は懸かってゐた。幾万とも知れぬ星は、大空に明滅してゐた。私は名状出来ない感慨に打たれて、その夜は寝つきが悪かった。 おわり 1943年春から転住所にいた日系二世に徴兵令状が来て、ヨーロッパ戦線に送られた多くの二世兵士が戦死した。この有田百氏の記事は、1943-1944にアリゾナ州ポストン転住所での葬儀に出席した時のものである。 MIS(Military Intelligence Service)陸軍情報兵として太平洋戦線に出陣した二世の中にも、数は少ないが戦死者が出た。しかし、戦死したMIS兵士の葬儀はどのように営まれたのだろうか。MISはその存在は戦時中極秘扱いにされていたから、戦死場所は公表されなかったに違いない。 竹村
一世パイオニア資料館
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