Japanese American Issei Pioneer Museum
日系一世の奮闘を讃えて

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  物語 - 一世関係
52 - 加州花卉市場月報
 
             
 

1930年前後の日系社会の直面する問題、二題 家庭と結婚

   加州花卉市場月報 California Flower Marker Monthly    

   June 5, 1929(昭和4年)六月五日版より抜粋   

 

母国行脚  第二信 村田生  1929年4月15日 船上にて

 

十日出帆の頃は、船になれない人は静かなる航海にもかかわらず船に酔った人が多く、船室に閉じこもっている人もかなりあった様であるが、ハワイに近くなる、気候は暑くなる、船になれる昨日あたりからデッキには新しい顔がボツボツふえる。今日は、明日ホノルルに着くといふので心も引き立つのであろふ、デッキに出る人がふえてきた。十六年前、母に会いに故国に帰った時,その船には児童一人見なかったのに、この度は船客の半分以上が子供の感じがする。デッキの大部分は十五六歳よりヨチヨチと歩く子供で満たされている。これは何を意味するのであろふか。沢山の子供を連れて夫婦相連れ立って故国訪問であろふ。勿論それもあろふ。しかし、自分の 見るところでは、夫君はアメリカにとどまり、妻君をしてその足手まとひの子供を故国につれかえり、郷里の親たち或いは血縁の人達に託して、自分たちの経済的な負担を逃れんための母国行きの如く見ゆるのである。(村田生)

蛇足弁  閑日月生  (加州花卉市場月報 1929年6月5日発行)

目下の在留同胞の大部分は、「一には金、二には仕事」と、丸で自分自身が刑務所にでもつながれいるかの如く、金と仕事に束縛せられて、子供の事などは学校に通わす以外の事は一向に顧みずに居て、子供がやがて年頃になると、第一には白人が日本人二世を差別するの、排斥するのと云ひ、第二は内の子には誰も縁談の周旋をして呉れぬ、縁談の話を持ってきてくれぬと大きな悩みを持っている。

勉強も大事だが、社交も大事だ。同胞間に、大いにピクニックを推奨する。

(閑日月生)


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日系花園業者は、当時アメリカ花卉業界でかなりのシェアを持っていた。この月報は日本語による4ページ、12x15インチの月刊紙である。勿論花の生育や市場に関する情報記事が主であるが、四分の一に当る1ページは日常生活の中においてビジネスに直接の関係はないが、一世の関心事や話題が占めている。当時の日系社会を知る上で、誠に興味深い記事が多い。全てがそうではないが、日系人の家庭では此処に記述のようなケースは多かったようだ。夫婦共稼ぎの生活の中で子供が次々と出来ると、足手まといになって「故郷に錦」の目標が遠くなるので、助けを日本の縁故に求めたことと、排日の空気の強い西部沿岸で、親たちは子供が適齢期になると候補者の少ない日系社会なので、日本人との結婚を切望した。(一世資料館 April 2013)


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