Japanese American Issei Pioneer Museum
日系一世の奮闘を讃えて

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  物語 - 一世関係
51 - 日本からの移住民とその家族 - 平凡社 1957 年
 
             
 

日本からの移住民とその家族

世界文化地理大系   平凡社 東京 昭和32年1957年刊「アメリカ」

 

戦後、日系アメリカ人の正確な数はつかめないが、アメリカ本土には14万、ハワイに20万といわれている。今やアメリカ合衆国の日系アメリカ人は、古く日本から移住した一世の時代から二世、三世への時代へと移ってきた。二世、三世はアメリカで生まれ、アメリカで育った者で、完全なアメリカ人である。その多くは高等教育を受けている。アメリカ合衆国への日本からの移民は、遠く明治の初期から始まり、明治の後半期が最高期であった。それゆえ、一世は現在すでに老境に入り、その平均年齢は65歳を超えている。しかし、一世の人達は気持ちも若く、活動的である。長い間、苦難と闘いながらもアメリカに於ける今日の日系社会繁栄の基礎を築き上げた一世は、今や二世、三世の時代に移っていく様子をたのもしく、また誇らかに見守っている。

第二次世界大戦を契機として、合衆国に於ける日系アメリカ人の社会的地位は非常に高くなった。その主な理由は、戦時中の日系アメリカ人の合衆国に対する忠誠が如実に示されたからといえよう。日系二世の第442連隊がイタリア戦線で抜群の功績をしたことは、余りにも有名である。一世は戦争を経て、出稼ぎ根性をすっかり払拭してしまった。その意義は、特筆すべきものである。従来は、老後は日本に帰ろうとの考え方が支配的であったため、本気でアメリカに根を下ろす気概に乏しかった。しかし、戦後はすっかり変って、日本に帰ることなどは殆んどの一世が考えなくなった。子供らとがっちりと手を取って、どっしりとアメリカに腰をすえようとしたのである。1952 年に、McCarran Act マッカラン法が議会を通過して、一世にも帰化の道が開けた。

中部および大西洋岸に於いては、日系人に対する人種的偏見はほとんど見られない。排日空気の強かったカリフォルニア州の都会には、今なお日系人を受け入れない住宅地域がある。また日系人を歓迎しないレストランも、ときには見うけられる。日系人の就職の機会も増したとはいえ、二世、三世であっても、一流どころへの就職はまだ容易なことではない。イタリア移民の二世ともなると、楽に白人社会に受け入れられていくのを見ると、神の摂理の不合理を感じないわけにはいかない。

日系人の生活様式は、日本に住む日本人からみると、まったくうらやましい。台所の一隅には、みるからに清潔な純白の冷蔵庫が置かれ、居間にはテレビがあり、ベースメント〈地下室〉には電気洗濯機を備え、ガレージには自動車が一台待っている。寒い冬には、どの部屋も自動的に一定の温度になるようできている。このようなことは、都会でも田舎でも変りはないことである。アメリカ式の家に住み、アメリカ風の生活をしているが、食べ物だけは日本食の味を忘れられないらしい。一世は勿論、多くの二世や幼い三世にまで米飯、味噌汁、漬物が食卓に出る。

太平洋岸の大都市〈ロサンゼルス、サンフランシスコ、サンノゼ、サクラメント、フレスノ、シアトルなど〉には、戦前から、いわゆる日本人街があり、その地区には日系の商店が集まっている。この日本人町は、あまり上等な街通りではない。

最近、この日本人街は次々と陰が薄くなり、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルを見れば明らかなように、閉店や他地区に移転のために往年の姿を失ないつつある。

日系人の宗教では、仏教徒はキリスト教徒よりもはるかに多い。西部沿岸の日系人の住む各地では仏教教会がある。これ等は寺と言わずに仏教会と呼んでいる。この仏教会の組織、活動の様子はキリスト教の教会に類似している。すなわち、教えが生活に直結していて、日曜日には老若男女お寺に集まる。一種のミサが行われ讃美歌にあたる仏教讃歌が歌われる。司式は日本から来ている僧侶がおこなう。僧侶は洋服の上に袈裟を引っ掛けた姿である。この僧侶は開教使と呼ばれている。キリスト教徒も、自分たちの専属の教会を持っている。牧師も日系人である。人数の少ない地方では、牧師が巡回して家庭集会の形式でミサが行われている。概して、日系アメリカ人の宗教心は深く、そして活発である。

戦後、日系人の社会的地位は高まったが、人種的理由のために白系アメリカ人との結婚はまだ一般的に行われず、非常にまれである。黒人との結婚は、合衆国における黒人の差別されている境遇を十分知っているので、思いもよらないことである。このような訳で、婚期にある日系二世は数少ない自分たちの中から配偶者を求めなければならない。

平凡社刊 世界文化地理大系 1957年出版「アメリカ」より抜粋

 

読 後 所 感             November, 2007  竹村義明   

 

執筆者は、当時のアメリカ社会における日系社会のを的確に描写している。その時代を生きた者として同感する点が多い。しかし、当時から半世紀を越える時間は、日系社会に大きな変化をもたらした。

数多くの人種から成るこの国で、日系人は model minority 模範的マイノリティーとさえ云われるようになった。現今の日系社会はアメリカ社会に完全に受け入れ

られ、当時とは雲泥の差がみられる。たとえば、戦前から戦後でさえも執拗に付きまとった就職や住宅上の排斥は今や全く陰をひそめたし、黒人との結婚を除けば人種間結婚(inter-racial marriage)も5割を超えている。

時代の進展と共に、日本語族は極度に減少し、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルなどの邦字新聞も、ロサンゼルスの羅府新報を除けば、廃刊となったり又は極端な縮小版となった。住宅の選択の可能と就職地の拡大に伴う人口分散によって、解体の進んでいた各地の日本人町は極端に小さくなってしまった。

半世紀前に書かれた平凡社のこの文章は、この国で生きる私たち日系人や日系社会研究者にとって非常に興味深い。


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