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物語 - 一世関係 47 - 豊三郎 故郷を想う - 佐藤豊三郎 |
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豊三郎 故郷を想う
明治三十年頃青森県弘前中学卒業後渡米、サンフランシスコに上陸した後、サクラメント地方で友人と米作を始めたが成功せず、ブランケかつぎとなって各地の農園を渡り歩いた。しかし、経済的に恵まれなかった上に健康を害して1933昭和8年5月加州スタクトン郡立病院で寂しくなくなった。 病室の遺品の中には洗 面具、書類(海外旅券、卒業証書、日本からの手紙、最近の友人からの手紙)や晩年の句を書き入れた二冊のタブレット手帳などがあった。それに交じって未発送の手紙の入った一通の封書がある。海江社に送って投稿者の佐々木杏所氏に転送してもらうつもりだったのだろう。
From 読んで来て、私の眼は茲で止まった。再び吟んで見た、、、、、 弐拾有余年前、自在釣の掛かった故国の暖辺が目前に活動写真の様に浮んで来る。外はまだ雪に覆はれてる、或は雪が降って居るかも知れん、鼻垂れ小僧は学校から帰って来て何か母親に食べるものを、ねだってゐる、母は自分の仕事に忙殺せられて、あこをかえり見るひまがない、小僧は母の尻に鼻鳴らしてついて行く、炉の火は消へている、真黒な自在釣のみが、ぶら下がって居る、、、、 嗚呼、、、あの炉と自在釣が弐拾有余年後も亦残って居るか、、、、、私は此の句は日本よりのラジオを聴いたよりも、うれしく感ぜられました。 在北米 佐藤青稲 佐々木杏所 様
一世パイオニア資料館
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