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物語 - 一世関係 44 - 町から遠く離れた田舎の農園に住む一世家族 戦前の話 |
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町から遠く離れた田舎の農園に住む一世家族 戦前の話
「地主の小屋に住んでましたからなあ。あの頃は、自分で家を持っているものはほとんどありませんでしたよ。農園働きはみな何年かしたらあっちこっちムーブして(仕事をさがして)歩いたでしょう。ですから、ハウスの中でもね、こんなカウチ〈長いす〉を置いたり、テーブルを持ったりはしませんでした。レディオも、たいがいの家にはなかったです。 家はあのバラックですね。板で作ったテーブルを置いて、そしてフロアも板を張り付けただけですね。そして、クック・ストーブは石油のをね。ライト(明り)は電気のないルームが多くて、ですから、ランタンをつけたりガスランプでした。ガスランプをつけているところは、もう薄暗くてあんなでも満足しておったですからね。今でしたら、もうとても住めません。」〈田中政一〉 「ずっとその前は、ヘイ(干し草)の上に寝たんですよ。シーツがあれば上等でしたよ。馬小屋でしたから、夜中に馬がドーンと床をけるんですよ。そして私は毎晩洗濯です。ケロシン(灯油)の缶でくど(かまど)を作って、その上にたらいをのせて、お湯を沸かして夜中の一時か二時まで洗濯しましたよ。ああ、ウオッシング・ミシン(洗濯機)ですか。あれは一九三五、六年ごろじゃないですか。洗濯ものが多くて、病気になってしまうからどうにかしなければならぬので、買いましょうというわけでお店と交渉しました。 農園主が洗濯ミシンを買ったら電気をつけてやるというわけで、ミシンを買って電気がついたわけです。子供たちが喜んで、ツーストロング(強すぎる)だって、ライトがね。レディオは、はじめは皆さん殆どなかったですよ。あったところで、こっちには全然わからないんだから、、、英語ばかりでね。」(田中政一の妻、みよ) 伊藤一男 「北米百年桜」 1969年刊 より引用
一世パイオニア資料館
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