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  物語 - 一世関係
25 - 故郷 (高等小学読本より)
 
       

高等小学読本 巻一   出版 文部省   大正 三年 (1914) 十一月 印刷

第四課    故 郷

人一たび故郷を離るれば、故郷の風物は常に其の心中を往来す。嬉しき時にも故郷を思ひ、悲しき時にも亦故郷を思ふ。久しく異郷に在りて故郷に帰れば、山川、草木悉く歓んで我を迎ふるの感あり。殊に業成り名遂げて、之を故郷の父老に告ぐるは、人生の至楽なり。故に古来志を立つるもの、錦を衣て故郷に帰るを希はざるものなし。

故郷の慕はしきは、必ずしも山水の美なるが為に非ず。又風土の住みよきが為にも非ず。不毛厳寒の地に住める北極の土人も、百花咲満つ南方温暖の地に来りて、尚其の故郷を忘るること能はずといふにあらずや。故郷の慕はしきは、祖先墳墓の地にして、我が幼時嬉戯せし処なればなり。祖先幾代此処に生活し、永く此処に眠れるを思へば、心無き山河も自ら情あり。我が嬉戯せし幼時の楽しき記憶をおもひ起せば、木石亦知友の感なくんばあらず。況や父母、妻子、兄弟、姉妹、親族、故旧の我を待つあるに於てをや。

故郷は我が出生の地を中心とすれども、其の範囲一定ならず。一郡より見れば、村は即ち故郷なり。一県より見れば、郡は即ち故郷なり。全国より見れば、県は即ち故郷なり。世界より見れば、国は即ち故郷なり。故に故郷を愛する心は即ち国家を愛する心なり。

故郷を愛する心は故郷を遠ざかるに随ひて、益々強さを加ふるものにして、我が帝国の領土を出でて遠く異邦に在る時、其の最も強烈なるを覚ゆべし。彼の三笠山の歌を誦するもの、誰か万里異域の客として故郷の空を慕ひし仲麻呂の感慨を察せざらんや。

然れども今は昔と異なりて、通信、交通の機関発達し、数十日にして世界を一周すべく、数時間にして極遠の地にも音信を通ずべし。又世界各国は殆ど我が帝国の友邦ならざるはなく、到る処確実なる保護を受くるを以て、旅行するも、事業を経営するも、極めて安全なり。されば各国民互に海外の発展を競ふ今日、徒らに故郷に恋々として国内に小利を争ふは、故郷を愛する所以に非ず。強固なる目的と確実なる師団とを有するものは、盛に海外に雄飛して、帝国の発展に貢献すべし。骨を埋むるや ただ墳墓の地のみならんや。人間到る処青山あり。

注:

日本に於ける明治後期から昭和初期の教育制度では、生徒は尋常小学校〈尋常科〉に六年通ってから高等小学校(高等科)に進み、そこで二年勉強した。この教科書は大正三年( 1914 )出版の高等小学校一年生のためであり、生徒の年齢は十二歳だった。

当時の高等科一年生は現在の中学一年生だが、こんな難しい文語体の文章を、昔の生徒はフリ仮名もつけずによく読んだものだと思う。この教科書で見る限り、昔の方が現在よりも「読み書き」の程度が高かったようだ。

この時代の日本の国情を反映して、「故郷」は故郷への愛着を述べると同時に、海外への雄飛をも吹聴している。    - 竹村義明 -

 

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