Japanese American Issei Pioneer Museum
日系一世の奮闘を讃えて

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物語 - 一世関係
21 - 一世の父親と息子の会話 - ジョン・オカダ
     

一世の父親と息子の会話

 

「父さん」とイチローは声をかけた。

「なんだい、イチロー?」

「父さんと母さんはなぜアメリカへ来たの?」

「みんなアメリカに来たんだ」

「どうしても来る必要があったの?」

「いいや、わしらが来たのは金のためよ」

「それだけ?」

「そう。それだけで来たんだ、わしはそう思うけど」

「じゃ、なぜ金をかせぐ必要があったの?」

「うちの村にアメリカへ行って大金を作った人がいてな。その人は   

   帰ってくると広い土地を買って、それでまあ楽な余生を

   送った。で、わしらも来てかせいだら、日本へ帰って

   田んぼでも買い、楽な余生をってな」

「ここに住みついて帰らないなんて考えてみたことはないの?」

「ないね」

「それで今はどんな気持ち?」

「何がなんだって?」

「帰ることよ」

「帰るにきまってるよ」

「いつ?」

「さあね、もうすぐ」

「どのくらいすぐ?」

「もうすぐよ」

 

もうこれ以上聞いても ラチがあきそうになかった。

 

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ジョン・オカダ著 「ノー・ノー・ボーイ」から抜粋 

日本語版 1979年 中山 容 訳  晶文社 発行

( 著者  John Okada 1923 年  シアトル生まれの二世 )

 

一世渡米の理由はいろいろあったが、ほとんどは貧乏な日本から「金の成る木のあるアメリカ」への金儲けのための出稼ぎで、まとまったお金が出来たら日本に帰るつもりだった。だから、子供が生まれると名前は日本名をつけ、領事館に届け出て日本国籍も取り(二重国籍)、日本語学校へ通わせて日本に帰った時に困らないようにしていた。

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