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物語 - 一世関係 10 - 童謡 赤い靴、青い目の人形 |
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「赤い靴」と「青い目の人形」
アメリカにおいて、1910年(明治37)頃から始まった日本人排斥の風潮は、排日移民法や排日土地法の施行となり、一世や二世にとってアメリカは住みよいところではなかった。 しかし、大正時代に入ると、日米関係は波状的に親日と反日の繰り返しとなり、大正十年頃はアメリカの子供達から日本の小学校に送られた「人形使節」、日本からの返礼の日本人形の影響もあって、両国の関係はすこぶる良好で当時の日本ではアメリカは「遠くても近い国」だった。このような背景の中で、日本では大正十年(1921)に童謡「青い目の人形」と「赤い靴」がつくられ、アメリカへのあこがれあって、あっという間に日本中にひろまった。 しかし、こんな童謡の歌われていた時にも、アメリカでは日系人に対する排斥(HATE)は途絶える事はなかった。この後も、日米友好関係は悪化の一途をたどり、大正13年〈1924年〉には、排日移民法が成立した。 青い目の人形 1921 野口雨情作詞,本居長世作曲 青い目をした お人形は アメリカ生まれのセルロイド 日本の港へついた時 一杯涙を うかべてた 「わたしは言葉がわからない
迷い子になったら なんとしょう」 やさしい日本の嬢ちゃんよ 仲よく遊んで やっとくれ 仲よく遊んで やっとくれ 赤 い 靴 赤いくつ はいてた おんなの子 いじんさんに つれられて いっちゃった よこはまの はとばから ふね にのって いじんさんに つれられて いっちゃった 今では青い目に なっちゃって いじんさんの おくにに いるんだろ 赤いくつ みるたび かんがえる いじんさんに あうたび かんがえる 一世パイオニア資料館 |
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